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「クルマを知る」の記事一覧

ハイブリッド車はなぜ燃費がいい?トヨタ式と日産式、しくみの違いまで読み解く
ハイブリッド車の燃費が良い理由を、エンジンの「苦手」から解説。トヨタTHSの動力分割、日産e-POWERのシリーズ方式など、方式ごとの設計思想の違いを読み解きます。

軽自動車の規格はなぜ全長3.4m・660ccなのか?「枠」が75年動き続けた物語
全長3.40m・全幅1.48m・排気量660cc — 軽自動車の規格はどう決まってきたのか。1949年の制定から現行規格までの改定の歴史と、64馬力自主規制の正体を解説します。

なぜスバルは水平対向エンジンを積み続けるのか?60年続く「低重心」の設計思想
半世紀以上、量産乗用車で水平対向エンジンを作り続けてきたのはスバルとポルシェだけ。低重心・振動相殺という利点と、幅・コスト・整備性のトレードオフ、1966年スバル1000から60年続く設計思想を一次資料から読み解きます。

なぜ日本車はCVTだらけで、欧州車は使わないのか?「変速をなくす」という設計思想
CVTとステップATは何が違うのか。プーリーとベルトの仕組み、オランダ生まれ日本育ちの歴史、トヨタ・ダイハツ・スバル三社三様の「ギヤの足し方」、あえて変速ショックを作る制御まで、変速機の設計思想を一次資料から読み解きます。

なぜマツダはロータリーエンジンを諦めなかったのか?「悪魔の爪痕」から発電用復活までの60年
世界中が挑んで撤退したロータリーエンジンを、なぜマツダだけが量産し続けられたのか。平均25歳・47人の開発部隊、「悪魔の爪痕」の克服、コスモスポーツ、ルマン総合優勝、RX-8での生産終了、そしてMX-30 Rotary-EVでの「発電用」復活まで、60年の物語を一次資料から読み解きます。

なぜトヨタは「土台」から作り直したのか?TNGAに見る「プラットフォーム」の設計思想
新型車の紹介に必ず出てくる「プラットフォーム」とは何か。部品の共通化はコスト削減の話に見えて、トヨタのTNGAは「浮いた開発力を走りとデザインに再投資する」構造改革でした。2012年の公表から第1号車・4代目プリウス、熱効率40%のエンジンまで、トヨタの一次資料から読み解きます。

なぜロードスターはパワーを追わないのか?マツダ「人馬一体」の設計思想と5グラムの軽量化
「人馬一体」はカタログの飾り文句ではありません。1989年の初代ロードスター開発で6つの要素に分解され、数値目標に翻訳された設計思想です。排気量をあえて下げた4代目、5グラムのための肉抜き穴、10ミリ秒の応答短縮 — 「速さ」ではなく「対話」を選び続けるマツダの一次資料を読み解きます。

なぜホンダはターボに頼らなかったのか?VTECの発明とType R 30年の物語
回転が上がるとエンジンの音が変わる — ホンダVTECの「カムの切り替わり」です。燃費研究から生まれた機構が「どうせやるなら100馬力にしろよ」の一言でリッター100馬力に挑み、F1の白と赤を受け継ぐType Rの系譜につながるまで。高回転自然吸気に懸けたホンダの一次資料を読み解きます。

なぜ日本の軽は「背の高い箱」ばかりになったのか?ワゴンRからN-BOXへ、上に伸びた30年の物語
全長3.40m・全幅1.48mが規格で固定された軽自動車が、空間を広げられる方向は「上」だけだった — 1993年ワゴンR、2003年タント、2011年N-BOX。スーパーハイト軽が生まれ、車名別販売1位のクルマになるまでの30年を、スズキ・ダイハツ・ホンダの一次資料で読み解きます。

なぜ日産のエンジンはタイヤを回さないのか?EVから生まれたe-POWER、逆転の発想の物語
エンジンを積みながら、タイヤを回すのは100%モーター — 2016年のノートe-POWERが選んだ「シリーズ方式」は、EV「リーフ」で先行した日産だから選べた道でした。48年ぶりの登録車首位から、発電専用エンジンで熱効率50%を狙う第3世代まで、日産の一次資料で読み解きます。

なぜスバルはカメラだけで止まろうとしたのか?アイサイト、人間の目に賭けたステレオカメラの物語
2010年のレガシィの価格表で、自動ブレーキを備えたグレードとの差はちょうど10万5,000円 — 高価なセンサーを積み増すのではなく「人間の目と同じ」ステレオカメラ一本に賭けたスバルの選択は、運転支援システムを身近にしました。1989年の研究開始から、世界初(当時のスバル発表)となるステレオカメラのみのプリクラッシュブレーキ、累計約760万台まで、スバルの一次資料で読み解きます。

なぜスズキは軽さにこだわり続けるのか?610kgのアルトとHEARTECT、「小・少・軽・短・美」の物語
2014年の8代目アルトは、先代より60kg軽い車両重量610kg(4人乗り軽自動車で最軽量・当時のスズキ調べ)を実現しました。1979年に47万円で登場した初代アルトから、骨格を滑らかにつないで部品を減らすプラットフォーム「HEARTECT」、そしてあえてそれを使わないジムニーまで — スズキが公開している一次資料から、軽さをめぐる設計思想を読み解きます。

なぜ日産はコンロッドを捨てたのか?VCターボ、圧縮比を自在にするまでの20年の物語
エンジンの燃費とパワーを決める最重要パラメータでありながら、従来の構造では設計時に決めたら二度と変えられなかった圧縮比。日産は、ピストンとクランクをつなぐコンロッドをマルチリンク機構に置き換えることで、圧縮比を8:1から14:1まで無段階に変える量産型世界初(当時の同社発表)のエンジン「VCターボ」を作り上げました。1998年の研究開始から、2018年の量産初搭載、そして2022年のエクストレイルで発電用として日本に登場するまで — 日産が公開している一次資料から読み解きます。

なぜトヨタはエンジンより先に燃焼を設計したのか?熱効率40%、Dynamic Force Engineの物語
ガソリンの持つエネルギーの4割を動力に変える「熱効率40%」。トヨタは2016年、この数字を燃費に割り切ったエンジンではなく、1Lあたり60kWの高出力と同時に達成したと発表しました。鍵は、理想の燃焼を筒内圧の波形として先に定義し、それを再現する機械を後から設計するという順序の逆転。排気量が違っても同じ燃焼を再現するエンジン群「Dynamic Force Engine」の開発思想を、トヨタが公開している一次資料から読み解きます。

なぜホンダ最初のクルマは軽トラックだったのか?8,500回転のT360と、閉じかけた扉の物語
1963年8月、ホンダが最初に発売した四輪車は軽トラックのT360でした。ところがその心臓は、オールアルミのDOHC水冷直列4気筒に4連キャブレター、30PSを8,500回転で絞り出す、レーシングマシンの文法で作られたエンジン。オートバイで世界の頂点に立ったホンダはなぜ、軽トラックで四輪の世界へ飛び込んだのか。背景には、国が自動車メーカーの新規参入を制限しようとした法案と、閉じかけた扉に滑り込むための4カ月半の勝負がありました。ホンダが公開している社史の一次資料から読み解きます。

なぜダイハツは「小さいクルマ」一筋なのか?1907年創業、三輪トラック・ミゼットの物語
いまクルマを造っている日本のメーカーで、いちばん古い会社はどこでしょうか。ダイハツの公式サイトは自社を「現在自動車を生産する日本のメーカーで最も古い歴史を持つ会社」と紹介しています。創業は1907年 — トヨタ自動車工業の設立より30年早く、最初の製品はクルマではなく国産第1号の6馬力エンジンでした。「ダイハツ」という社名がお客さんのつけた愛称だったこと、雨の夜の梅田で割れたビール瓶が三輪トラック「ミゼット」を生んだこと、そして119年たった今も「小さいクルマ」から離れないこと。ダイハツが公開している社史・ブランドページの一次資料から、この会社の物語を読み解きます。

なぜ三菱は「曲がる」を駆動力で作るのか?AYCからツインモーター4WDへ、四輪制御の物語
4WDは雪道やぬかるみで「進む」ための装備 — そう思っている人は多いはずです。三菱自動車は1996年、後輪の左右に駆動力の差をつけてクルマを曲げる「AYC」をランサーエボリューションIVに載せました。4本のタイヤを、進むためではなく曲がるために制御する発想です。そして前後をモーターで駆動するツインモーター4WDについて、同社は技術ページで「1980年代以来追及してきた理想前後駆動力配分」を実現したと書いています。この方式を初めて積んだのが2013年のアウトランダーPHEVでした。電動化は三菱にとって、4WDの置き換えというより答え合わせだったことになります。三菱自動車が公開している技術ページと社史から読み解きます。

触媒なしで排ガス規制を越えたエンジン — ホンダCVCCとマスキー法の物語
1970年、米国で成立したマスキー法は、有害排出ガスを10分の1にせよという内容でした。GM・フォード・クライスラーを筆頭に世界中の自動車メーカーが「この規制内容を達成するのは不可能である」と主張したと、ホンダの社史は記しています。そのなかでホンダは、排気管に浄化装置を付けるのではなく、燃焼そのものを作り替える道を選びました。副燃焼室で薄い混合気を燃やすCVCCエンジンです。1972年12月、米国EPAの計測室で1975年規制の合格第1号になったこのエンジンは、しかし10年あまりで主役の座を降ります。次の主役は触媒でした。ホンダとトヨタ、両社の社史とEPAの公表資料から、この10年あまりを読み解きます。

55年、変えなかったのは4つだけ — スズキ ジムニーが守った構造と手放したもの
ジムニーは1970年の初代から、エンジンを空冷から水冷に、2サイクルから4サイクルに、排気量を360ccから660ccに変え、車体も規格改定のたびに大きくしてきました。それでもスズキが繰り返し「継承」と書く構成が4つあります。ラダーフレーム、FRレイアウト、副変速機付パートタイム4WD、リジッドアクスル式サスペンション。2025年に登場した史上初の5ドア「ジムニー ノマド」でも、この4つは変わっていません。ただし公表値を並べると、5枚目のドアの代償がひとつだけ数字に出ています。スズキが公開している車種史とニュースリリースから、55年ぶんの「変えた」と「変えなかった」を読み解きます。

「80点主義」は妥協ではなかった — カローラ60年、落第点をひとつも作らない設計思想
「80点主義」は長いあいだ、可もなく不可もないクルマの代名詞のように使われてきました。ところがトヨタ自動車75年史に残る初代カローラの主査・長谷川龍雄の発言を読むと、意味はほとんど逆です。ひとつでも50点の項目があれば大衆車として失格で、だからあらゆる面で80点以上を取る。そのうえで、どこか一点を80点より引き上げてセールス・ポイントにする。トヨタはこれを「80点主義+α」と呼んでいます。1961年のパブリカの誤算から、1966年のカローラ、そして2019年に生まれた現行モデルの日本専用ボディまで、トヨタが公開している資料の原文と数字だけで追いかけます。トヨタの記載では、カローラシリーズは2026年10月20日に誕生60周年を迎えます。

パジェロとダカールラリー — 12回勝った競技車と、24年97万km走った市販車
三菱自動車のパジェロは、ダカールラリーで通算12回の総合優勝を挙げています。ただし1983年の初出場で勝ったのは市販車無改造クラスでした。三菱が公開している資料を年代順に読むと、勝ち続けるほど競技車は市販車から遠ざかり、1997年には「ダカールラリーのレギュレーション変更に対応する」市販車まで作っています。一方で、7大会連続優勝の最後となった2007年の大会で約7,000kmを走り切ったのは、まだ発売前だったデリカD:5のサポートカーでした。同社の特集記事には、1台で24年97万kmを走ったパジェロも登場します。39年で生産を終えたパジェロという名前が何を残したのかを、三菱が公開している原文と数字だけで追いかけます。