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なぜ三菱は「曲がる」を駆動力で作るのか?AYCからツインモーター4WDへ、四輪制御の物語

公開: 2026-08-04 / 更新: 2026-08-05

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4WDは何のための装備でしょうか。雪道で発進するため、ぬかるみから脱出するため — つまり進むための装備、というのが一般的な理解だと思います。ところが三菱自動車の四輪制御技術のページを読むと、話の中心にあるのは「進む」ではありません。曲がるです。同社は1996年、後輪の左右に駆動力の差をつけてクルマの向きを変えるシステムを市販車に載せました。エンジンの力を、前へ進むためだけでなく、車体を回すために使うという発想です。

そして2013年、前後をそれぞれモーターで駆動するSUVを出したとき、同社はこう書きました。この方式は「1980年代以来追及してきた「理想前後駆動力配分」を実現し」たと。電動化は三菱にとって、4WDを新しい何かに置き換える話ではなく、30年前から書いていた理想にようやく手が届いた話だった、ということになります。三菱自動車が公開している技術ページ・会社の歴史・車の歴史から、この一本の線をたどってみます。

1980年代、「人間に合わせる」と書いた技術誌

三菱の四輪制御には、AWC(All Wheel Control)という名前の開発思想があります。同社の定義は「四輪のタイヤ能力をバランスよく最大限に発揮させ、“意のままの操縦性”と“卓越した安定性”を実現するという三菱自動車の開発思想です。」というもの。ここで言う「意のままの操縦性」は「あらゆる状況においてドライバーがイメージした操作通りにクルマが動くということ」、「卓越した安定性」は「どのような状況でもクルマの挙動が安定し、安心して運転に集中できるということ」だと説明されています。

面白いのは、その出発点として同社が挙げている文章です。三菱自動車は、1980年代に発表した自社の技術誌「テクニカルレビュー No.1」において、「クルマの物理的な運動性能を高めることだけでなく、クルマを運転する人間との意思の伝達、人間の感覚に合う制御の研究の重要性」を説き、「意のままの操縦性を実現するためには、人間の応答関数、つまり、運転時の人間の認知・判断・操作に合わせ、クルマの物理性能を最適に制御することが重要である」という考え方を示した — それが四輪制御技術の基礎として今日まで受け継がれている、と同社は書いています。

1980年代といえば、電子制御がようやく車体まわりに入り始めた時期です。三菱自身、1985年に電子制御サスペンション「ECS」で自動車技術会技術開発賞を受けています。その時代に「クルマの性能を上げる」ではなく人間の認知・判断・操作に制御を合わせると目標を立てたことが、この会社の四輪制御を独特なものにしました。速く走るための制御ではなく、思ったとおりに動かすための制御。この目標設定は、のちにモーターを手に入れたときに効いてきます。

1996年、駆動力でクルマを曲げる

1996年7月、三菱はアクティブヨーコントロール「AYC」と、アクティブスタビリティコントロール「ASC」という2つのシステムを発表します。同社の後年の解説によれば、AYCとは「走行状況に応じて後輪左右のトルク差をコントロールすることで、車体に働くヨーモーメント(旋回力)を制御し、旋回性能を向上するシステム」です。左右輪間のスリップを抑える制御によってLSD(差動制限装置)の効果も発揮し、駆動性能も上がると説明されています。

ここが分かれ目です。クルマの向きを変える力(ヨーモーメント)を電子制御で作る方法は、大きく2つあります。ひとつは、特定の車輪にブレーキをかけて左右の抵抗に差をつけ、その差で車体を回す方法。もうひとつが、片側の車輪により多くの駆動力を送って押し出す方法です。前者は横滑り防止装置(ESC)に代表される考え方で、姿勢を安定させるのが目的ですから、その分の運動エネルギーは失われます。三菱のAYCが採るのは後者の方式です。同じ「曲げる」でも、減速をともなって曲げるのか、駆動して曲げるのかが違います。

三菱によれば、AYCは1996年8月に発売されたランサーエボリューションIVに世界で初めて採用されました。そして2003年1月発売のランサーエボリューションVIIIでは、デファレンシャル機構を変更することで最大トルク移動量を約2倍に増やした「スーパーAYC」へ進化しています。ラリーで戦うための特別なクルマから始まった技術ですが、同社が同時期に発表したASC(4輪のブレーキとエンジン出力を制御して姿勢を安定させるシステム)と組み合わせることで、「走る」「曲がる」「止まる」の基本性能を底上げする方向へ向かっていきます。

この年、三菱はもうひとつ大きな投資をしています。1996年11月、総工費約200億円を投じて北海道河東郡音更町近郊に十勝研究所を開設。約1,000ヘクタールの敷地に、全長約10kmの長楕円形の高速周回路(最高速度300km/hまでの走行試験が可能)、250km/hからの高速制動試験路、全長3kmのクロスカントリー路、寒冷地試験路を備えた施設です。制御を作るには、限界の挙動を安全に何度でも再現できる場所が要る。思想と設備が同じ年に揃ったことになります。

2007年、4つのシステムを1つにする

次の節目は2007年7月です。三菱は車両運動統合制御システム「S-AWC(Super All Wheel Control)」を発表し、同年10月1日発売のランサーエボリューションXに初めて搭載しました。S-AWCは、AYCにブレーキ制御を加えたうえで、ACD・ASC・スポーツABSという4つのシステムを統合制御するものです。

ここで加わったACD(Active Center Differential)が、前後方向の担当になります。同社の説明では「走行状況に応じて、前後輪の回転差を制限する力をフリー状態から直結状態までコントロールすることで、前後輪へ伝達される駆動力を最適に配分し、操舵応答性と駆動性能を高次元で両立させるシステム」。つまりS-AWCは、前後(ACD)・左右(AYC)・4輪のブレーキ(ASC/ABS)という3方向の制御を、ひとつの頭で同時に動かす仕組みです。

三菱はS-AWCを、前後輪間トルク配分・左右輪間トルクベクタリング・4輪ブレーキ力を制御する3つのサブシステムで構成されると整理したうえで、こう書いています。「走る・曲がる・止まる」といった車両運動を、「ドライバーにとって違和感がないように、継ぎ目なく連続的に統合制御する」。違和感がないように継ぎ目なく — 1980年代の技術誌の「人間の感覚に合う制御」が、20年後の商品説明にそのまま生き残っているのが分かります。

プロペラシャフトという、動かせない前提

ただし、この時点のS-AWCには構造上の天井がありました。エンジンが1つで前後の車輪を回す以上、動力はプロペラシャフトを通って後ろへ運ばれます。ACDは「前後の回転差を制限する力」を加減するデバイスですから、できるのは配分の調整であって、前後を完全に切り離したり、後輪だけで走ったりすることはできません。理想の配分を計算で求められても、機構が許す範囲でしか実行できないわけです。

三菱はこの制約についても、失われるものを併記しています。「従来の4WDは、前後輪が物理的に繋がっていることにより、直進安定性の向上等にも寄与していました」。前後が機械で結ばれていることは、制約であると同時に安定性の源でもあった — 都合の悪い側面も書いてあるのが、この会社の技術ページの誠実なところです。

1966年から流れていた、もう一本の川

ここでいったん、まったく別の話に見える流れをたどります。三菱の電動化です。

1966年10月、東京電力と三菱重工業のあいだで「現用電池の改良による電気自動車の試作ならびに諸試験」という研究委託契約が結ばれました。三菱電機と日本電池(現・ジーエス・ユアサ コーポレーション)も参加し、軽自動車のミニカバンをベースに電気自動車の研究が進みます。1969年12月に試作車E12X型が完成。改良版のE12型は最高速度80km/h、航続距離70km(30km/h定速走行時)という性能で、1971年5月、業務用車両として東京電力へ10台が納入されました。オイルショックの2年前、日本の道路にはまだ舗装されていない区間も多かった時代の話です。

研究は細く長く続きます。2005年11月、三菱は次世代電気自動車の開発方針を発表し、リチウムイオン電池と、ホイールの中にモーターを収めるインホイールモーターをコア技術に据え、これらの総称を「MIEV(Mitsubishi In-wheel motor Electric Vehicle)」と名づけました。研究車両として、後輪に2基のインホイールモーターを持つコルトEVと、4輪すべてにインホイールモーターを装着したランサーエボリューションMIEVが作られています。四輪制御の会社が電気自動車を作ると、まず4つのモーターを別々に回してみる、というわけです。

2007年3月には、i-MiEVの性能評価実験が電力会社と始まります(この段階で名称は「Mitsubishi innovative Electric Vehicle」に変わっています)。東京電力と九州電力に1台ずつ納車して急速充電器との整合性や業務車両としての適合性を確かめ、2008年2月には航続距離を伸ばした試験車10台を東京電力へ納入。2009年7月、軽乗用車「i」をベースにしたi-MiEVが発売されました。三菱は自社の歴史ページで、この車を「EVの量産と販売を世界に先駆けて発表」したもの、電動化技術のページでは「世界初の量産EV」と紹介しています。搭載電池は、ジーエス・ユアサとの合弁会社リチウムエナジージャパンが草津工場で2009年6月から量産した「LEV50(セル容量50Ah)」。年産20万セル、約2,300台分という規模でした。翌2010年3月には、三菱・トヨタ・日産・富士重工業・東京電力の5社が幹事会員となってCHAdeMO協議会が設立されています。

2013年、2本の川が合流する

そして2013年、アウトランダーPHEVが登場します。三菱はこの車を、長年積み重ねてきたEV・4WD・SUVの技術を集めた、SUVタイプとして世界初のプラグインハイブリッド車だと位置づけました。駆動用バッテリーの総電力量は12kWhで、蓄えた電力は一般家庭の最大約10日分にあたり、2016年の熊本地震や2018年の北海道胆振東部地震では非常用電源として使われています。

ただ、この記事の文脈で決定的なのは電池ではありません。前後輪をそれぞれ最高出力60kWのモーターで駆動する「ツインモーター4WD」を新開発し、S-AWCと組み合わせたことです。三菱の説明を引きます。

「ツインモーター4WD」は、プロペラシャフトによる物理的な拘束から解放されたことによって、前後駆動力配分を100:0 ~ 0:100 で制御することが可能です。この自由自在な特性は、1980年代以来追及してきた「理想前後駆動力配分」を実現し、操縦性と走破性をバランスよく飛躍的に進化させました。

前を100にも、後ろを100にもできる。途中の任意の比率にもできる。ACDが「回転差を制限する力の強弱」でしか近似できなかったものが、前後別々のモーターではそのまま数値で指定できるようになりました。三菱にとって電動化は、環境対応であると同時に、四輪制御の道具の入れ替えだったことになります。ハイブリッドを燃費の技術として捉えると、この構図は見えません(動力を分けるという発想そのものの整理はハイブリッドの仕組みの記事にまとめています)。

電動化のページで三菱が語る「求めたのは「意のままの加速」」という一節も、同じ思想の延長にあります。「レスポンスよく、強くアクセルを踏めば力強く加速し、優しく踏めば優しく加速する。」— モーターの速い応答を最高速や0-100km/hに使うのではなく、ドライバーの操作に忠実に反応させるために使う。1980年代の「人間の応答関数に合わせる」が、ここでも繰り返されています(モーターだけで走ることの気持ちよさを別の角度から突き詰めた例は日産e-POWERの物語をどうぞ)。

いまのアウトランダーPHEVを見ると

現行のアウトランダーPHEVの製品ページを見ると、S-AWCは4WD(前後モーターのトルク配分)・AYC(左右輪間の駆動/制動力)・ASC・ABSの統合として説明されています。そして走行モードは7つ。NORMAL、ECO、POWER、TARMAC、GRAVEL、SNOW、MUD — 「各モードごとに前後駆動力配分やアクセルレスポンスなどを専用チューニングし」ていると書かれています。

たとえばTARMAC(舗装路)は「後輪の駆動力配分を高めるなどの制御で、ワインディングでキビキビと走れる、高い旋回性を発揮」、MUDは「ぬかるみや深雪といった悪路でのアクセルレスポンスを最適化。スリップを抑制し高い走破性と脱出性能を発揮」。同じ車が、スイッチひとつで後輪寄りのスポーツカーにも脱出用の悪路車にもなる。ハードウェアを変えずに性格を7通り用意できるのは、前後の配分が機構ではなくソフトウェアで決まっているからです。

ちなみに、三菱が四輪制御の起点として挙げているのは、意外にも戦前の試作車です。1935年に陸軍自動車学校から「野戦指揮官用全輪起動乗用車」の試作依頼を受け、三菱重工業神戸造船所が開発したPX33型。1936年に第二次試作車が完成し、1937年7月に4台が作られましたが量産には至りませんでした。実車は現存しませんが、1988年にフランスのソノート社がパジェロを使ってレプリカを製作し、1989年のパリ・ダカールラリーを完走しています。四輪駆動の試作車から、パリ・ダカールラリー7連覇のパジェロを経て、モーター2基のPHEVまで。同じ会社が90年かけて同じ課題を解き続けている、と読むこともできます。

それでも守れなかったもの

ここまで書いてきたのは、ひとつの思想を数十年にわたって手放さなかった会社の話です。しかし同じ会社の歴史には、正反対の記録も残っています。

2016年4月、三菱自動車の燃費試験における不正行為が公表されました。きっかけは、日産との合弁会社NMKVが新型車開発の参考にとekワゴンの燃費を測ったところ、国土交通省に届け出た燃費と大きな乖離が見つかったことです。調査の結果、型式指定審査の際に届け出る走行抵抗の値を、実際より燃費が良く見えるよう不正に操作していたことが判明。販売中の車両だけでなく、過去に販売した20車種でも同じ操作が行われており、社長が引責辞任しました。

外部有識者による特別調査委員会の報告書は、内容を3点に整理しています。①燃費試験に使う走行抵抗を、国内法規で定められた計測方法である「惰行法」ではなく「高速惰行法」で行っていた ②「高速惰行法」で得られたデータの中でも意図的に燃費に有利なものを使っていた ③他車両のデータを使い、机上計算で走行抵抗を求めていた。そして起点は、「惰行法」が定められた1991年当時にさかのぼるとされています。当時の三菱は国内販売の拡大を進めており、多くの新型車を出すために短期間で計測できる「高速惰行法」を使い続け、手順省略を目的とした不正がシステム化されていた、というのが報告書の指摘です。2016年5月には日産自動車との戦略提携契約が結ばれ、同年10月に日産が発行済株式の34%を約2,373億円で取得して筆頭株主となりました。翌2017年1月には、消費者庁から景品表示法に基づく措置命令と課徴金納付命令(4億8,507万円)を受けています。

1980年代に「人間の応答関数に合わせて制御する」と書いた会社が、同じ1990年代に、測定という最も基本的な手順を省いていた。技術の物語を書くなら、この2つは同じ会社の記録として並べておくべきだと思います。実験室で理想を追うことと、日々の手順を守り続けることは、まったく別の能力です。三菱はこの不正の経緯を、いまも自社の年表に残しています。

まとめ

  • 三菱の四輪制御の思想AWCは「四輪のタイヤ能力をバランスよく最大限に発揮させ」て意のままの操縦性と卓越した安定性を実現するというもの。同社は1980年代の技術誌で、人間の認知・判断・操作に合わせて制御するという考え方を示し、それが今日まで基礎になっていると説明している
  • 1996年のAYCは、後輪左右のトルク差でヨーモーメント(旋回力)を作るシステム。ブレーキで減速させて曲げるのではなく駆動力で曲げるのが特徴で、三菱によればランサーエボリューションIVに世界で初めて採用された。2003年にはトルク移動量を約2倍にしたスーパーAYCへ
  • 2007年のS-AWCは、AYC・ACD・ASC・スポーツABSを統合制御する仕組み。ただしエンジン1基+プロペラシャフトという構造上、前後配分は「回転差を制限する力」の加減にとどまっていた
  • 2013年のアウトランダーPHEVで採用されたツインモーター4WDは、前後別々のモーターにより配分を100:0〜0:100で制御できる。三菱はこれを「1980年代以来追及してきた「理想前後駆動力配分」を実現」したと表現している。現行モデルの7つのドライブモードは、この自由度をソフトウェアで性格分けしたもの
  • 電動化の流れは1966年10月の東京電力との研究委託契約に始まり、1971年のミニカバンEV納入、2005年のMIEV構想、2009年のi-MiEV発売と続いた。四輪制御と電動化は別々に走っていた2本の川で、2013年に合流した
  • 一方で2016年には燃費試験の不正が公表され、1991年から手順省略を目的とした不正がシステム化されていたと特別調査委員会が指摘。翌年には課徴金納付命令を受けている

同じ「4WDの思想」でも、エンジンの搭載方法から左右対称にこだわった会社の答えはスバルが水平対向を60年積み続ける理由にあります。ひとつの方式を数十年手放さなかった別の例としてはスバル アイサイトがステレオカメラ一筋を貫いた物語、モーターで走ることの意味を突き詰めた例は日産e-POWERの物語、機構では動かせないはずの数値をあとから動かした例は日産VCターボの物語をどうぞ。なお、PHEVやEVを実際に持つと維持費がどう変わるかは維持費の内訳ガイドで項目別に整理しています。

※本記事の年月日・数値・引用は、三菱自動車工業公式サイトのブランドページ「四輪制御技術」「電動化技術」「耐久信頼性技術」、「会社の歴史」「車の歴史」および製品サイトのアウトランダーPHEV「ツインモーター4WD×S-AWC」に基づく2026年8月時点の内容です。「世界で初めて採用」「世界初の量産EV」「SUVタイプとして世界初」等の初物表記はいずれも三菱自動車の記載によります。当時の性能値・電力量は発表当時の発表値で、燃費・航続距離の測定方法は現在のWLTCモードと異なる場合があります。2016年の燃費試験不正に関する記述は同社の年表および特別調査委員会報告書の概要として同社が公表している内容に基づきます。なお電気自動車の研究開始年について、同社サイトには1964年からとする記載と1966年からとする記載の双方があるため、本記事では研究委託契約が結ばれた1966年10月を起点として記載しました。旋回力の作り方を「ブレーキによる方法」と「駆動力配分による方法」に分けた整理は本記事による説明上の区分で、三菱自動車の公式資料がこの二分法を示しているわけではありません。現行の車種・技術・仕様については三菱自動車の公式サイトをご確認ください。

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