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走りながら2気筒になったクルマ — 三菱MDエンジンと、MIVECの説明から消えたモード

公開: 2026-09-05 / 更新: 2026-09-05

クルマを知るのイメージイラスト

クルマのエンジンは、走っているあいだ、全部の気筒が動いていると思われがちです。実際には、燃料を節約するために一部の気筒を休ませる技術があり、いまも各社が使っています。

その気筒休止を、三菱自動車は1982年2月に発表しています。名前はMDエンジン。しかも興味深いのは、その10年後に登場したMIVECという可変バルブタイミング機構が、当初はバルブタイミングと排気量の両方を可変にする機構として説明されていたことです。同社の公式サイトの年表を読むと、その後の説明からは、排気量側のモードが姿を消しています。

先に結論

  • 三菱自動車は1982年2月にMD(Modulated Displacement)エンジンを発表。4気筒1.4Lで、低負荷時は2気筒運転、高負荷時は4気筒運転に自動で切り換わる
  • 止める気筒まで公表されている。ランサーフィオーレの解説によればNo.1とNo.4シリンダーの吸・排気バルブを閉じる
  • この会社は、その少し前まで気筒が少ないほど振動・騒音で不利だと自社で書いてきた会社である。1975年に4気筒で8気筒並みの静かさを狙ったサイレントシャフト、1977年には2気筒の軽で4気筒なみの静かさをうたっていた
  • 1992年9月に発表されたMIVECは、高速モード・低速モード・MD(可変排気量)モードの3つを切り替える機構だった。年表の本文は可変バルブタイミング・排気量機構と書いている
  • ところが同じ年表の別の項では、2002年11月発売のコルトに積んだものをMIVEC(可変バルブタイミング機構付き)、2003年のグランディスをMIVEC(可変バルブタイミング&リフト機構付き)と呼び、排気量の語が入らない。2005年・2011年の説明でも同じで、MDモードは出てこない
  • MDモードがなぜ説明から消えたのかは、参照した2ページに書かれていない(MDの項もMIVECの項も全文読んで、理由に触れた記述は無い)

1982年、三菱は走行中にNo.1とNo.4を止めた

三菱自動車の公式サイトには、社史にあたる年表が2つあります。ひとつが会社の歴史、もうひとつが車の歴史です。MDエンジンは会社の歴史の1982年2月の項に、独立した出来事として載っています。

MD(Modulated Displacement)エンジンは、運転状況に応じて4気筒と2気筒が自動的に切り換わる可変排気量タイプのエンジンです。

切り換えの条件まで具体的です。

4気筒1.4Lでありながら、コンピューターの制御により、アイドリング時、減速時、約70km/h以下での定時走行時(4速)など低負荷時には、2つのシリンダーの吸・排気バルブを閉じて2気筒運転し、加速時及び高速走行時などの高負荷時には4気筒運転に切り換えることで、大幅な燃費向上(10モードで20km/ℓ)を実現しました。

読み流しそうになりますが、約70km/h以下の定時走行(4速)が2気筒運転の対象に入っています(定時走行は原文の表記です)。信号待ちや減速中だけでなく、流している最中も半分の気筒が休んでいる、ということです。

もう一方の年表、車の歴史のほうを開くと、同じ機構が車種の側から説明されています。1982年2月にミラージュがミラージュIIシリーズになり、その双子車として発売されたのがランサーフィオーレでした。

新開発のMDエンジンは、No.1とNo.4シリンダーの吸・排気バルブを作動あるいは閉塞して、パワーが必要なときは4気筒、必要としないときは2気筒の自動的に変わる「可変排気量」エンジンで、10モード燃費20km/Lという画期的低燃費を実現していました。

止める気筒の番号が書かれているのが、この記述の面白いところです。直列4気筒で1番と4番を休ませ、2番と3番で走る。エンジンの両端を止めて真ん中2つを使う、という形になります。

MDはこの1車種だけの装備ではありません。会社の歴史のMDの項は、発表と同じ月にミラージュにも積まれたと書いています。エンジンの項ではさらに具体的に、1982年2月に4G12型へMD機構を採用してミラージュIIに搭載した、とあります。車の歴史のミラージュの項ではオリオンMDという呼び方も出てきます。そして翌1983年10月にフルモデルチェンジしたランサーフィオーレの解説にも、エンジンの選択肢として名前が残っています。

エンジンは、高性能1600ターボ、可変排気量システムで低燃費を実現した1500MDエンジンや1800ディーゼルなど、豊富なバリエーションを設定。

1982年の1400MDから、1983年には1500MDへ。同じ1983年の2代目ミラージュの解説にも、パワーを必要とする時は4気筒、必要としない時は2気筒に自動的に変わる1.5L MDエンジンとして載っています。排気量を変えながら、双子の2車種に引き継がれたわけです。

この会社は、気筒が少ないほど不利だと書いてきた

MDの面白さは、それを出した会社の来歴と並べると増します。三菱自動車は1970年代、気筒数が少ないエンジンの振動と騒音を抑えることに取り組み、それを売り文句にしていた会社だからです。

会社の歴史の1976年の項に、サイレントシャフトが自動車技術会技術開発賞を受賞したという出来事があります(同じ項の本文は学術賞の受賞にも触れており、賞の名前は資料内で割れています)。その説明は、前提の確認から始まります。

当時乗用車エンジンの主流であった4気筒エンジンは、6気筒、8気筒、ロータリーエンジンに比べて、省資源、省エネルギー、低コストの面で優れている反面、振動・騒音の面では不利でした。

そこで開発したのがサイレントシャフトです。同じ項は、その狙いをこう書いています。

4気筒エンジンで8気筒クラスの静かさを実現する「サイレントシャフト」システムは、4G52型(2L)アストロンエンジンに採用され、「アストロン80エンジン」として、ニューギャランGTOに搭載されました。

採用の時期は、エンジンの項にさらに具体的に書かれています。1975年2月に4G52型アストロン80エンジンを積んだギャランGTOを発売し、4気筒で8気筒並みの静かさを実現した、という記述です。三菱はこの技術を欧州メーカーへ供与しており、同じ項はポルシェ、ボルボ、サーブの3社を挙げています(年表には1981年の出来事としてポルシェ社への提供が独立して載っています)。

同じ考え方は軽自動車にも下りています。車の歴史の1977年の項にあるミニカアミ55は、見出しからして4気筒なみの静かな走りです。

振動吸収のよいトルクアーム式リヤサスペンションや三菱自動車独自のサイレントシャフトなどの採用により、2気筒でありながら4気筒なみの静かな走りを実現しました。

つまり2気筒は4気筒に、4気筒は8気筒に近づける——それがこの会社の1970年代の売り文句でした。その延長線上に、1982年の走行中に4気筒を2気筒にするエンジンが置かれることになります。

ここは慎重に書きます。サイレントシャフトがあったからMDを出せた、という因果は、参照した2ページのどちらにも書かれていません。2つの出来事は別々の項として並んでいるだけです。ただ、順序として、気筒を減らしたときの弱点を長く扱ってきた会社が、走りながら気筒を半分にする機構を出した、という事実は残ります。

1992年、MIVECの説明には「排気量」も入っていた

MDの名前は、10年後にもう一度出てきます。会社の歴史の1992年9月の項は、見出しが可変バルブタイミングエンジン(MIVEC)を発表、となっています。ところが本文を読むと、そこに書かれている中身は、可変バルブタイミングだけではありません。

MIVEC(Mitsubishi Innovative Valve timing and lift Electronic Control system)エンジンは、高速運転の高速モード、発進加速、登坂運転の低速モード、市街地運転のMD(可変排気量)モードという3つのモードの中から、走行状況に応じて自動的に切り替える可変バルブタイミング・排気量機構を備えたエンジンです。

3つのモードのうち、市街地走行で使われるのがMDモードです。そして機構の呼び方も、可変バルブタイミング・排気量機構と、排気量が併記されています。1982年に単体のエンジンとして出た気筒休止が、可変バルブタイミング機構の中の1モードとして組み込まれた形です。

ただし、この項は同じ段落の中で呼び方を揺らしています。すぐ次の一文はこうです。

高出力、低燃費、クリーン性能の両立により、理想の高効率運転を可能にした画期的な可変バルブタイミング機構を搭載しました。

ここでは排気量が落ちて、可変バルブタイミング機構になっています。項の見出しも可変バルブタイミングエンジン(MIVEC)を発表で、排気量は入りません。つまり1992年の時点で、排気量を含む呼び方と含まない呼び方が同居していたわけです。だからこの記事で追うのは呼び方の変化ではなく、MDモードという中身のほうです。

採用車種も同じ項に書かれています。

1992年(平成4年)に「ミラージュ」に初めて採用

MDエンジンを積んだミラージュIIから10年後、MIVECもまたミラージュから始まったことになります。

10年後には、説明からMDモードが消えている

MDモードがいつまで説明に登場するのか。年表を横に読むと、答えは1992年からそう遠くありません。

会社の歴史のエンジンの項に、4G1型エンジンの記述があります。2002年11月に発売されたコルトの説明です。

新開発の1.3LのDOHC MIVEC(可変バルブタイミング機構付き)エンジンとCVT(無段変速機)を組み合わせて搭載し、軽快でレスポンスの良い走りを実現しました。

括弧の中は可変バルブタイミング機構付き。排気量はありません。翌2003年3月発売のグランディスも同様です。

新開発の2.4L MIVEC(可変バルブタイミング&リフト機構付き)エンジンとINVECS-Ⅱ4A/Tを組み合わせて搭載し

こちらは可変バルブタイミング&リフト機構付き。増えたのはリフトで、排気量ではありません。MDモードが3つのモードの1つだった1992年から10年で、括弧の中身はバルブ側だけになっています。

1992年9月の項の続きを読んでも、同じ方向です(原文では、先に引いた初採用の一文とここからが読点でつながった1つの文です)。

以降さらなる高性能化を目指し改良を重ね、2005年(平成17年)に発売の「アウトランダー」、2007年(平成19年)に発売の「デリカ D:5」、「ギャラン フォルティス」では、吸気・排気のバルブタイミングを連続的に最適制御する機構を採用しました。

そして吸気バルブタイミングとバルブリフト量をSOHCのシンプルな構造で連続的に可変制御する「新MIVECエンジン」を2011年(平成23年)に発売の「RVR」、「ギャラン フォルティス」、「ギャラン フォルティス スポーツバック」、「デリカD:5」、2012年(平成24年)に発売の「アウトランダー」に採用しています。

連続的に可変になったのは、バルブタイミングと、バルブのリフト量です。気筒を止める話は、どちらの記述にも出てきません。

それを裏づけるように、年表の別の場所ではMIVECにこんな注記が付いています。中国の合弁会社である瀋陽航天三菱汽車発動機製造有限公司の項で、MIVECという略称にアスタリスクが付き、末尾でこう説明されています。

※三菱自動車の可変バルブタイミング機構の総称

可変バルブタイミング機構の総称。1992年の本文にあった排気量の語は、この定義には入っていません。

ついでに気づくのは、MIVECという略称の展開が、同じ年表の中で3通りあることです。1992年9月の項ではMitsubishi Innovative Valve timing and lift Electronic Control system、1991年の4G9型エンジンの項ではMitsubishi Innovative Valve timing and Electronic Control system(liftが入らない。この項の見出し年は1991年ですが、MIVEC搭載の記述自体は1992年10月の出来事です)、瀋陽の項ではMitsubishi Innovative Valve Timing Electronic Control。名前のほうも、少しずつ姿を変えています。

なぜMDモードが消えたのかは、書かれていない

ここで期待したくなるのは、やめた理由です。しかし参照した2ページに、その説明はありません。MDの項もMIVECの項も全文を読みましたが、やめた理由に触れた記述はありません。振動や騒音という語は両ページに出てきますが、いずれもサイレントシャフトやディーゼルエンジンなど別の技術の項に出てくるもので、MDやMIVECの項には1件もありません。

したがって、この記事で言えるのはここまでです。1982年に単体のエンジンとして出た気筒休止は、1992年に可変バルブタイミング機構の1モードとして組み込まれ、遅くとも2002年の記述では説明から姿を消していた。その理由は、この2ページを読むかぎり分かりません。

ひとつだけ確かなのは、燃費という目的のほうは消えていないことです。1982年のMDが10モードで20km/Lを掲げ、2002年11月発売のコルトに積まれた1.3L DOHC MIVECとCVTの組み合わせは、年表によれば10・15モードで20km/Lを達成しています(年表はこの数字に、1.3L車でありオプション装着により異なる、という注記を付けています)。ただしこの2つの数字は、測り方(10モードと10・15モード)が違うので、そのまま比べることはできません。同じ数字が20年の間隔をあけて出てくる、という以上のことは、この年表からは読み取れません。

この記事が扱っていないこと

  • MDモードが説明から消えた理由。参照した2ページに記述がないため、推測は書いていません
  • 他社の気筒休止技術との比較。参照したのは三菱自動車の公式年表2ページのみで、他社の資料は読んでいません
  • MD搭載車の販売台数や、MDモードの実際の燃費。年表に記載がありません
  • いま買えるクルマに気筒休止が付いているかどうか。現行車の装備は各社の公式サイトや販売店でご確認ください

まとめ

  • 三菱自動車は1982年2月、低負荷時に2気筒運転へ切り換わるMD(Modulated Displacement)エンジンを発表した。止めるのはNo.1とNo.4、2気筒運転の対象には約70km/h以下の定時走行(4速)も入る
  • その少し前まで、同社は気筒が少ないほど振動・騒音で不利だと年表に書き、サイレントシャフトで4気筒を8気筒並みに、2気筒の軽を4気筒なみにすることを売りにしていた(両者を結ぶ因果は資料に書かれていない)
  • 1992年9月のMIVECは、高速・低速・MD(可変排気量)の3モードを持つ可変バルブタイミング・排気量機構だった(ただし同じ段落の次の文は、排気量抜きで可変バルブタイミング機構と呼んでいる)
  • 2002年11月発売のコルトの説明では、括弧の中はすでに可変バルブタイミング機構付き。2003年は+リフト、2005年以降も連続可変になったのはバルブタイミングとリフト量で、MDモードは出てこない。別の項の注記はMIVECを可変バルブタイミング機構の総称と定義している
  • 消えた理由はこの2ページには書かれていない。名前の中身が入れ替わったという事実だけが、年表に残っている

エンジンの可変化という発想そのものは、その後も各社で続きます。日産が圧縮比を可変にするまでに20年を費やした話は、なぜ日産はコンロッドを捨てたのか?VCターボ、圧縮比を自在にするまでの20年の物語にまとめています。三菱が駆動力の側で四輪制御を積み上げてきた経緯は、なぜ三菱は「曲がる」を駆動力で作るのか?AYCからツインモーター4WDへ、四輪制御の物語をご覧ください。

出典: 三菱自動車工業「会社の歴史( 三菱自動車の歴史)」(1976年サイレントシャフト受賞、1972年 4G5型アストロンエンジン、1982年2月 可変排気量エンジン(MD)、1991年 4G9型エンジン、1969年 4G3型(サターン)エンジン、1992年9月 可変バルブタイミングエンジン(MIVEC)、瀋陽航天三菱汽車発動機製造有限公司の各項)/同「車の歴史( 三菱自動車の歴史)」(1977年 ミニカアミ55、1982年・1983年 ランサーフィオーレ、1982年・1983年 ミラージュの各項)。いずれも2026年9月5日に閲覧。年表に用語の出現数を数えた箇所と、No.1・No.4という番号から気筒配置を説明した箇所は当サイトによる整理です。

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