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「荷物を運ぶ車」のまま4WDになった — 三菱デリカが、見送ったはずの両立を8年後に果たすまで

公開: 2026-08-29 / 更新: 2026-08-29

クルマを知るのイメージイラスト

三菱自動車の『デリカ』は、今年で58年になります。いまの『デリカD:5』を見て配達の車を思い浮かべる人はほとんどいないはずですが、この名前はもともとそういう意味でした。

先に結論です

  • 『デリカ』という語は58年残り、その下の骨格は4回作り替えられた — Delivery Car にちなむ名前として1968年に生まれ、三菱自身が「商用車の枠をこえたユーティリティーカー」と書くまでになった
  • 名前の意味を変えたのは4WDだった — 三菱は1982年10月の4WD追加を「『デリカ』=4WDのイメージを築き上げました」と記載している
  • 1986年の3代目は、衝突安全性とウォークスルーを可能にする形式の構想を見送り、スペース効率を採った — ただし安全は別の手段(モノコックボディ)で手当てしたと書かれている
  • 1994年の4代目は、車体を大きくして両方を取りにいった — フロントエンジン化で前面衝突安全性を大幅に向上させ、同時に本格的ウォークスルーも実現している。全長は225mm、全高は85mm増えた
  • 三菱はこの2つの判断を結び付けて説明していない — 理由が書かれていないので、ここでは並べるところまでにとどめる

この記事が読むのは、三菱自動車工業株式会社が公開している「三菱自動車の歴史」のうち車の歴史です。年式・諸元・引用はすべてこの資料の記載によります。

1968年 — Delivery Car にちなんだ名前として生まれた

初代デリカは1968年7月に発売された小型トラックでした。開発が本格的に始まったのは1967年4月頃と記載されています。1.1Lで58PS、最大積載量600kg。当時この積載量帯ではエンジンを前に置くボンネットタイプが主流でしたが、デリカは運転席の下にエンジンを置くキャブオーバーを選びました。

『デリカ』のネーミングは、デリバリー(配達する)とカー(Car)を合成したもので、このクラスではボンネットタイプが圧倒的に多い中、積載能力のアップや居住性に配慮してキャブオーバータイプが採用されました。

理由として挙げられているのは積載能力と居住性の2つです。荷物のためだけの選択ではありませんでした。

翌1969年4月には、ライトバン、ルートバン、そして9人乗りの「コーチ」が追加されます。この「コーチ」について三菱はこう書いています。

「コーチ」は、のちの「スターワゴン」「スペースギア」「D:5」へと続くワンボックスワゴンのルーツといえます。

ワンボックスワゴンの系譜としては1969年のコーチが起点ですが、三菱は世代の数え方としては1968年のトラックを初代としています(D:5の項で「1968年(昭和43年)に初代を発売した」と記載)。同じ項にはこうもあります。

車名の由来は、Delivery Car(荷物を運ぶ車)にちなんだものですが、初代以来今日まで『デリカ』は商用車の枠をこえたユーティリティーカーとして活躍しています。

1979年の2代目 — 3年後に積んだ4WDが、名前の意味を変えた

2代目にあたる『デリカ スターワゴン』は1979年6月に発売されました。三菱はこの項の見出しを「ワンボックスワゴンとして日本初の4WD車」としています。ただし本文の書き方は少し違います。

1982年10月には小型キャブオーバーとして日本初の本格的4輪駆動システムを搭載しました。

見出しは「ワンボックスワゴンとして」、本文は「小型キャブオーバーとして」。どちらも日本初としているのは三菱の記載ですが、限定の付け方が違うので、引用するときは混ぜないほうが正確です。発売から4WD追加までは3年あります。

4WDが何を変えたかについては、三菱自身がはっきり書いています。

この4WD車は前部保護の目的で装着したグリルガードがデザイン的にもマッチし、高い車高とともに市場に強烈なインパクトを与え、『デリカ』=4WDのイメージを築き上げました。

グリルガードは本来、前を守るための部品です。それがデザイン的にもマッチしたと三菱は書いている。荷物を運ぶための名前を持ったクルマが、この時点で別の売り物を手に入れています。

なおこの4WDの系譜はデリカから始まったわけではありません。三菱は1978年のピックアップ『フォルテ』の項で「このモデルは、『パジェロ』、『デリカ4WD』など、三菱4WDシリーズの先駆となりました。」と書いており、順番としてはピックアップが先です。パジェロが競技で何を証明したかはパジェロとダカールラリーの記事で扱っています。

1986年 — 両立の構想を見送り、スペース効率を採った

ここが1回目の分岐点です。1986年6月の3代目スターワゴンについて、三菱はこう書いています。

3代目の開発は1983年春ごろから始められ、衝突安全性とウォークスルーを可能にするセミキャブオーバー式という構想もありましたが、初代同様にスペース効率に優れたフルキャブオーバー式となりました。そのボディには、安全性や耐久性に配慮するため、モノコックボディが採用されています。

セミキャブオーバーは、運転席をエンジンより少し後ろにずらす形式です。三菱はこれを「衝突安全性とウォークスルーを可能にする」形式と説明し、その構想を持っていて採用しませんでした。挙げられている理由はスペース効率です。

大事なのは、見送ったのは安全性そのものではなく、それを実現する一つの手段だったことです。引用の後半にあるとおり、三菱は同じ段落で「安全性や耐久性に配慮するため、モノコックボディが採用されています」と書いています。レイアウトでは空間を採り、安全は別の手段で手当てした、という書き方になっています。

3代目の見出しは「走るリビングルーム」でした。室内をどう使うかが、この時点での売り物だったことになります。

1994年 — 8年後、車体を大きくして両方を取りにいった

4代目『デリカ スペースギア』は1994年に発売されます。項の見出しは「スペースユーティリティ」で、第1文はこうです。

『デリカ』の4代目となる『デリカ スペースギア』は、多彩なシートアレンジ、本格的ウォークスルーを実現し、スペースユーティリティに富んだ“新RV”として1994年(平成6年)に発売されました。

そしてレイアウトが変わりました。

これまでのワンボックスタイプからフロントエンジンレイアウトを採用し、前面衝突安全性を大幅に向上させました。

1986年に「衝突安全性とウォークスルーを可能にする」と説明されていた2つが、ここでどちらも実現しています。室内についても「前席足元からラゲッジルーム後端までフラットフロア」としたうえで「前席から後席キャビンへのウォークスルーも実現」と記載されています。

つまり1994年は、1986年に見送った側へ乗り換えたのではありません。安全と空間のどちらかを選ぶ問題を、車体を大きくすることで解いています。実際、全長は4460mmから4685mmへ225mm、全高は1975mmから2060mmへ85mm増えました(いずれも三菱が代表的なモデルとして掲載している数値)。

車名の由来も変わりました。「スペースギア」について三菱は「日常生活やレジャーのための身近な“道具”(ギア)感覚で愛着を持って頂けるように」と書いています。配達ではなく、レジャーの道具として名付けられています。4WDには「『パジェロ』で好評のスーパーセレクト4WD」が採用されました。

資料が書いていないこと、そのそばにあるもの

デリカの項に、1986年の判断と1994年の判断を結び付けた説明はありません。8年のあいだに何が変わったのかも、デリカの項には書かれていません。

ただし同じ「車の歴史」の1993年から1994年には、別の車種の項に同じ趣旨の記述が3件並びます。1993年のニューミニカが「40km/h前面衝突時の乗員傷害値規制をクリア」、ニューミニカトッポが「ボディは40km/h前面衝突時の乗員傷害値規制をクリア」、1994年12月のパジェロミニが「40km/h前面衝突時の乗員障害値規制をクリアしました」。三菱はこれらをデリカと結び付けてはいませんので、ここでは同じ資料の近い年に並んでいる、と書くにとどめます。

背は伸び続け、そして一度縮んだ

年モデル全長全幅全高
1968デリカ(トラック)3800mm1540mm1830mm
1969デリカコーチ3860mm1540mm1795mm
1979デリカ スターワゴン3990mm1690mm1800mm
1986デリカ スターワゴン(3代目)4460mm1695mm1975mm
1994デリカ スペースギア(標準ボディ)4685mm1695mm2060mm
2007デリカD:54730mm1795mm1870mm

三菱は諸元表に「※画像およびスペックは、代表的なモデルのものを掲載しています。」と注記しています。同じ世代でもボディやグレードで数値は変わるので、この表は世代の傾向を見るためのものと考えてください。

全長は一貫して伸びています。全高は1994年の2060mmが最も高く、2007年のD:5では1870mmと190mm低くなっています。デリカの項に、全高の増減に触れた記述はありません(当サイトが確認した範囲)。

2007年 — 骨格から見直すと宣言した

5代目『デリカD:5』の項の見出しは「ミニバンを骨格から見直した安心・安全の新設計」です。開発テーマとして挙げられているのは「家族みんなが楽しめる「ミニバンの優しさ」と「SUVの力強さ」の融合」。

骨格には「リブボーンフレーム」と名付けられた環状構造が採用されました。三菱はこれを哺乳類の肋骨を思わせるような構造と説明し、ボディ剛性、耐久性の向上と高い安全性を確保したとしています。

この世代で面白いのは、衝突の話が駐車場まで下りてくることです。フロントフェンダーに樹脂素材を採用した理由として、三菱は「スーパーの駐車場などで起こりがちな、買い物カートによる軽い衝突などにも高い復元性を発揮するほど、耐衝撃性を向上」と書いています。1986年に見送られ、1994年に大きな車体で解かれた衝突安全性の話が、ここでは買い物カートの高さで語られています。

2013年にはディーゼルが追加されました。理由として挙げられているのは「歴代デリカのディーゼルファンから頂いた根強いご要望もあり」で、三菱はこれを「ミニバン初となるクリーンディーゼルエンジン搭載車」と記載しています。

この記事が扱っていないこと

  • 現行デリカD:5の装備・価格・グレード構成。本記事は歴代のレイアウトの変化に絞っており、表の2007年の数値も発売時のものです
  • 他社のミニバンとの比較。参照したデリカの項に他社への言及はありません(同じ資料の別の項には他社名が出てきます)
  • 1986年から1994年のあいだに三菱の中で何が起きたか。デリカの項に記載がないため推測しません

まとめ

クルマの名前は、たいてい最初の一台の性格を写しています。デリカもそうでした。ところがこの名前は、積載能力と居住性のためのキャブオーバーから、4WDのイメージへ、そして前面衝突安全性のためのフロントエンジンへと、下にある骨格を4回作り替えても残りました。

そして途中に、答えの出し方が変わった記録が残っています。1986年、三菱は衝突安全性とウォークスルーを両立させる構想を持ちながら、スペース効率を理由に見送りました。1994年、同じ2つを、車体を大きくすることで両方とも実現しています。トレードオフは、片方を選ぶ以外にも解き方がある — メーカーの資料を年代順に読むと、そういうものが出てきます。

三菱の設計思想そのものについては四輪制御AWCの記事で、競技が市販車に残したものについてはパジェロの記事で扱っています。

※本記事の年月日・諸元・引用は、三菱自動車工業株式会社が公開している「三菱自動車の歴史」の車の歴史に基づく2026年8月29日時点の内容です。「日本初」「ワンボックス車の先駆け」「ミニバン初」といった表現はいずれも三菱自動車の記載です。諸元は同社が「代表的なモデルのもの」と注記しているものを転記し、世代間の差(225mm・85mm・190mm)は当サイトが計算しました。1986年の判断と1994年の判断を並べた読み、および記事内の見出しは当サイトによるものです。

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