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「GTO」という3文字は、20年後には別のクルマに付いていた — 三菱の年表で読む、速さの作り方が変わった20年

公開: 2026-08-31 / 更新: 2026-08-31

クルマを知るのイメージイラスト

三菱自動車が公開している年表「車の歴史(三菱自動車の歴史)」を年の順に読んでいくと、GTOという3文字が5つの年に出てきます。ただしGTOを名乗るクルマそのものの項として立っているのは、1970年と1990年の2つだけです(1971年・1982年・1994年の3つは、別のクルマの説明のなかで名前が引き合いに出されているものです)。

間隔は20年。そして、その2台の中身はほとんど正反対でした。1970年の『ギャランGTO』は1600cc・全幅1580mmのクーペ(年表が載せる代表モデルの値)、1990年の『GTO』はV6 3.0Lツインターボ・全幅1840mmのフルタイム4WDです。

先に断っておくと、この20年のあいだ、GTOという名前が消えていたわけではありません。同じ三菱の「会社の歴史(三菱自動車の歴史)」には、1973年1月に「ギャランGTOに4G52型(2.0L)を搭載しました」、1975年2月に「4G52型アストロン80エンジンを搭載したギャランGTOを発売」とあり、「ニューギャランGTO」という呼び方も出てきます。途切れていたのは名前ではなく、車の歴史のほうが1つの項として立てているのが1970年と1990年の2つだけ、という話です。

この記事は、三菱自動車が公開している年表(「車の歴史」と「会社の歴史」)を、20年の距離をあけて読むものです。同じ会社が、同じ3文字を、20年後にどういうクルマに付け直したのか。そこに速さをどう作るかの変化が出ています。

先に結論です

  • 1970年の『ギャランGTO』には、名前の意味が書いてある — 「「GTO」の由来はイタリア語のGrande Tourismo Omologareの頭文字で、「GTカーとして正式に承認された車」を意味します。」。つまり名前そのものが承認の記録だった
  • 1990年の『GTO』の項に、名前の由来の説明はない(年表の当該項に「由来」「Omologare」の記載は0件)。代わりに最初の一言が「スーパー4WDスポーツカー」で、機構の名前が並ぶ
  • 比べられるのは出力ではなく寸法 — 出力は125PS(1970年・GTO-MR)と280PS(1990年)ですが、年表に測定方法の表記がないため、当サイトでは単純比較しません。一方で寸法は測り方が変わらないので、そのまま並べられます
  • 20年で全長+430mm、全幅+260mm、全高は-25mm(4125×1580×1310 → 4555×1840×1285)。低くなったのは全高だけで、あとは大きくなっています
  • 弟分の「FTO」も、まったく同じ方向に動いている — 1971年の『ギャランクーペFTO』3765×1580×1330・1400cc から、1994年の『FTO』4320×1735×1300・2000cc へ。長く、広く、少しだけ低く
  • 同じ1990年の別の項には、時代の空気が書いてある — 『ディアマンテ』の項に「1989年4月の税制改革で、物品税の廃止、自動車税の改正、自家用車の任意保険の改定などがあり、活発化した国産高級車市場。」とあり、同車は「三菱自動車初の小型車枠を超えた本格的ワイドボディ」と紹介されています(ただし年表は、GTOの車体寸法とこの税制改革を結び付けては書いていません)
  • 20年をまたいで残っているのは、性能そのものではない装備 — 1970年は「航空機の操縦席を思わせるラウンドタイプのコックピット計器盤」、1990年は排気の音質を切り替える「アクティブエキゾーストシステム」。どちらも速く走るためではなく、乗っている気分のための装備です

1970年の「GTO」— 名前が、承認の記録だった

初代の生い立ちは、モーターショーから始まっています。

乗用車市場でのハイレベルなスペシャリティ車志向の需要層に食い込むため、スポーティでロングノーズ、ショートデッキの個性的なスタイルを持つ『ギャランクーペGTX-1』を1969年秋のモーターショーへ出品し、大きな反響を得ました。翌1970年(昭和45年)11月『ギャランGTO』と名付けて発売。

そして、名前についてこう続きます。

「GTO」の由来はイタリア語のGrande Tourismo Omologareの頭文字で、「GTカーとして正式に承認された車」を意味します。

ここが面白いところです。この名前は、速さの宣言ではありません。「承認された」という、レースに出るための手続きの言葉です。速いと言う代わりに、速い車として認められた側にいると名乗っている。

中身は1600cc。年表が名指しする高性能モデルは、こう説明されています。

高性能モデルとして三菱自動車初のニューサターンDOHCエンジン(125PS)を搭載した「GTO-MR」は今でも人気のある名車の一台です。

クルマとしての狙いは、いまの目で見るとかなり実用寄りです。

従来の「クーペタイプは車内が狭い」という概念を打破した居住性を兼ね備え、室内には航空機の操縦席を思わせるラウンドタイプのコックピット計器盤を装備しました。

空力についても、ダックテールは「空気抵抗を減少させ高速時の浮き上がりをおさえる機能とスポーティな美しさを調和させた」と書かれています。機能と見た目を調和させた、という言い方です。1970年のスポーティカーは、まだ機能一辺倒ではありませんでした。

1990年の「GTO」— 一言目が「スーパー4WDスポーツカー」

20年後、同じ3文字が、別のクルマの項に現れます。年表は各項に短い見出しを付けていて、1970年のギャランGTOには「ハイレベルなスペシャリティ車」、1990年のGTOには「スーパー4WDスポーツカー」とあります。そして今度は、由来の説明がありません。年表の当該項に「由来」も「Omologare」も出てこず、最初の一文がこれです。

1990年(平成2年)10月に、スーパー4WDスポーツカー『GTO』を発売しました。

以降は、機構の名前が続きます。

エンジンは、280PSを発揮する新開発のV6 3.0Lツインターボと、電子制御可変吸気システムを採用したノンターボを設定。ツインターボにはゲトラーグ社製5MTを、ノンターボには5MT或いは4ATを組み合わせています。
優れた動力性能を確実に路面に伝達するVCU式フルタイム4WDを採用し、前後輪トルク配分を45:55に設定しました。
サスペンションはフロントにマクファーソンストラット式、リヤはダブルウィッシュボーン式とし、ショックアブソーバーの減衰力を電子制御するECS(電子制御サスペンション)や、中~高速時に後輪を前輪と同方向に操舵する4WS(4輪操舵システム)などにより、優れた操縦安定性を実現しました。

この項は全体で700字ほどしかありません。そこに、V6 3.0Lツインターボ、電子制御可変吸気システム、ゲトラーグ社製5MT、VCU式フルタイム4WD、ECS、4WS、そしてこのあと出てくるアクティブエアロシステムとアクティブエキゾーストシステムと、機構の名前が次々に並びます。1970年の項も長さはほぼ同じ(およそ620字)ですが、そこに出てくる機構らしい名前は「ニューサターンDOHCエンジン」ひとつで、残りはスタイル、空力、居住性、計器盤の話です。同じくらいの字数を、何の説明に使うかが入れ替わっています(どこまでを「機構の名前」と数えるかは当サイトの整理です)。

1970年の項が名前の由来に1文を割いて「承認された車」という資格を説明しているのに対し、1990年の項にその1文はなく、かわりに装置の名前が並びます。同じ3文字で、字数の使いどころが入れ替わっています。

出力は比べられないが、寸法は比べられる

ここで、つい125PSが280PSになったと書きたくなります。でも、それはやめておきます。

年表には出力の測定方法が書かれていません(今回参照した2つの資料に「グロス」の記載は0件です)。測り方をそろえられない2つの数字を引き算しても、その差が何を意味するのかが決まりません。

そのかわり、寸法は測り方が変わりません。年表が載せている代表モデルの数値を並べます。

項目1970年 ギャランGTO1990年 GTO差
全長4125mm4555mm+430mm
全幅1580mm1840mm+260mm
全高1310mm1285mm-25mm
エンジン1600cc3000cc / 3000ccターボ—

出典はいずれも三菱自動車「車の歴史(三菱自動車の歴史)」の各項。同ページには「※画像およびスペックは、代表的なモデルのものを掲載しています。」という注記があり、上の数値は代表モデルのものです。差の計算は当サイトによるものです。

目を引くのは全幅の+260mmです。26cmは、大人の手のひらの幅がまるごと片側に入るくらいの差があります。しかも下がったのは全高だけで、それも25mm。長く、広く、ほんの少し低くなった、というのが20年の変化でした。

弟分も、まったく同じ動き方をしていた

この動きがGTOだけの事情でないことは、弟分をたどると分かります。1971年、三菱は『ギャランクーペFTO』を出しました。

足回りやボディの一部を実績のある『コルトギャラン』と共用化し、『ギャランGTO』同様に本格派クーペを主眼においてデザインされた『ギャランクーペFTO』は、1971年(昭和46年)11月に発売されました。

この名前にも由来が書かれています。

「FTO」の由来はイタリア語のFresco Tourismo Omologareの頭文字をとったもので、「新鮮なクーペスタイルのツーリングカー」を意味していました。

ここで1つ気づくことがあります。GTOとFTOは、どちらも最後の1語が「Omologare」なのに、日本語の訳が違います。GTOは「GTカーとして正式に承認された車」、FTOは「新鮮なクーペスタイルのツーリングカー」で、後者からは承認という語が消えています。同じ資料の1年違いの項どうしで、こうなっている — これは当サイトが並べて気づいたことで、年表がその違いを説明しているわけではありません。

そして1994年、FTOという3文字も別のクルマに付きます。

1971年に『ギャランGTO』の弟分的に販売した『ギャラン FTO』と同様、『FTO』も1990年に登場した『GTO』の弟分として、気楽にスポーツカーを楽しんでほしいモデルとして登場。

寸法の変化は、兄と同じ方向です。

項目1971年 ギャランクーペFTO1994年 FTO差
全長3765mm4320mm+555mm
全幅1580mm1735mm+155mm
全高1330mm1300mm-30mm
エンジン1400cc1800cc / 2000cc—

兄弟そろって、長く・広く・わずかに低く。2組とも、小さくなったのは全高だけでした(全長・全幅・全高の3項目で比べています。GTOは20年、FTOは23年の間隔です)。

ただしFTOについては、年表自身が全高を抑えた理由を書いています — 「高い運動性能を実現するため、フロントとリヤのオーバーハングを必要最小限に切り詰め、ロー&ワイドでロードハガー感を高めるため全高を抑えています。」。低いのは結果ではなく狙いだった、ということです。

ちなみに1971年のFTOは、狭いはずのクーペで居住性を売りにしています。「室内幅1,300mmはこのクラスで最もワイドで、クラス随一の低い全高ながら、ヘッドクリアランスは最大の設計となっていました。」 — 広さを、外の寸法ではなく中の寸法で語っていた時代です。

幅が広がれた時代のこと

では、なぜ1990年のGTOは1840mmになれたのか。年表はGTOの項でそれを説明していません。ただ、同じ1990年の別の項に、時代の空気が書かれています。『ディアマンテ』です。

1989年4月の税制改革で、物品税の廃止、自動車税の改正、自家用車の任意保険の改定などがあり、活発化した国産高級車市場。

そのディアマンテは「三菱自動車初の小型車枠を超えた本格的ワイドボディ」と紹介されています。全幅1775mm。同じ年に出たGTOは、それよりさらに広い1840mmでした。

ここは並べるだけにしておきます。年表はGTOの寸法と税制改革を結び付けて書いてはいないので、税制が変わったからGTOが広くなったと読むのは当サイトの推測になってしまいます。言えるのは、同じ会社が同じ年に、小型車の枠を超えた幅のクルマを2種類出していて、その片方の項に税制改革の記述があるということです。

20年をまたいで残っていたもの

ここまでは変わったものの話でした。最後に、変わらなかったものを1つ。

1970年のギャランGTOには、「航空機の操縦席を思わせるラウンドタイプのコックピット計器盤」がありました。1990年のGTOには、こんな装備が付いています。

さらに特徴的な装備として、高速走行時にフロントベンチュリーカバーとリヤスポイラーが自動的に可動する「アクティブエアロシステム」、排気ガスのマフラーへの流入経路を切り替えることでスポーティな音質を楽しめる「アクティブエキゾーストシステム」を採用していました。

アクティブエアロは空力の装置ですが、アクティブエキゾーストは音質のための装置です。三菱の説明も「スポーティな音質を楽しめる」であって、速く走るためとは書いていません。

計器盤の見た目と、排気の音。20年のあいだに、動力も駆動方式も車体の幅も変わったのに、乗っている人がどう感じるかのためだけに用意された装備は、両方の世代にある。数字で比べられる部分がこれだけ動いたクルマで、数字にならない部分が残っていたのは、少し意外でした。

三菱の四輪駆動の考え方そのものについては、なぜ三菱は「曲がる」を駆動力で作るのか?AYCからツインモーター4WDへ、四輪制御の物語もあわせてどうぞ。

この記事が扱っていないこと

  • 販売台数・価格・生産終了の時期は扱っていません。 今回参照した年表の各項には、これらの記載がありません
  • 出力の比較はしていません。 上に書いたとおり、年表に測定方法(グロス/ネット)の表記がないためです
  • 他社の同時期のクーペとの比較はしていません。 参照した資料は三菱自動車のものだけで、他社について書かれていません
  • 実車に乗った評価ではありません。 本記事は三菱自動車が公開している年表を読んだものです
  • 2つだけというのは、車の歴史が1つの項として立てているクルマの数え方です。 会社の歴史には1973年・1975年のギャランGTOの記述があり、この20年のあいだに名前が消えていたわけではありません(本文にも書きました)

まとめ

  • 三菱自動車の「車の歴史」で、GTOを名乗るクルマの項は1970年と1990年の2つ(ほかの3年は別のクルマの説明での言及)。ただし「会社の歴史」には1973年・1975年のギャランGTOの記述があり、名前が途切れていたわけではありません
  • 1970年の項は名前の由来から入る — 「Grande Tourismo Omologare」=「GTカーとして正式に承認された車」。1990年の項に由来の説明はなく、一言目が「スーパー4WDスポーツカー」
  • 出力は比較しない(年表に測定方法の表記がないため)。比べられるのは寸法のほう
  • 寸法は全長+430mm・全幅+260mm・全高-25mm。小さくなったのは全高だけ
  • 弟分のFTOも同じ方向に動いた(1971年 3765×1580×1330 → 1994年 4320×1735×1300)。2組とも、小さくなったのは全高だけ
  • 幅については、同じ1990年の『ディアマンテ』の項に「1989年4月の税制改革で、物品税の廃止、自動車税の改正、自家用車の任意保険の改定などがあり、活発化した国産高級車市場。」という記述がある。ただし年表はGTOの寸法とこれを結び付けていない
  • 20年をまたいで両方の世代にあるのは、速さのためではない装備 — 航空機の操縦席を思わせる計器盤(1970年)と、排気の音質を切り替えるアクティブエキゾーストシステム(1990年)

出典: 三菱自動車工業株式会社「車の歴史(三菱自動車の歴史)」の各項(ギャランGTO・ギャランクーペFTO・GTO・FTO・ディアマンテ/シグマ)、および同社「会社の歴史(三菱自動車の歴史)」の4G3型(サターン)・4G5型(アストロン)エンジンの項(1973年・1975年のギャランGTOに関する記述)。寸法は同ページの注記「※画像およびスペックは、代表的なモデルのものを掲載しています。」のとおり代表モデルの数値です。差の計算、GTOとFTOで「Omologare」の訳し方が違うという指摘、出力を比較しないという判断、「速さのためではない装備」という整理は当サイトによるものです。

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