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踏むときは緩め、戻すときは強めた — マツダがロードスターの差動制限装置を作り分けた理由

公開: 2026-09-18 / 更新: 2026-09-18

クルマを知るのイメージイラスト

カーブを曲がるとき、外側のタイヤと内側のタイヤは違う速さで回ります。その回転差を許しているのが、左右の車輪のあいだにあるデファレンシャルギア(デフ)です。マツダ技報の表現を借りれば、デフケースに入力された駆動トルクはデファレンシャルギアにより左右輪に等分されます。

その回転差の出方を制限する装置が LSD(リミテッド・スリップ・デファレンシャル=差動制限装置)です。技報の言い方では「この差動制限力を強めたデフ」がそれにあたります。ここまでの2文のうち、外側と内側のタイヤが違う速さで回るという部分は一般的な差動装置の説明で、当サイトによる補足です。

LSD といえば、滑りやすい路面や競技で使うものという印象があるかもしれません。技報自身もそう書いています。

従来の LSD 開発では,トラクション性能や雪上,悪路等での走破性の向上を目的とすることが多い。また,サーキット走行のようなシーンを想定して LSD を搭載するというユーザーも多く,車輪の空転を抑制するトラクション性能への効果が一般的に広く認識されている。

そのうえで、論文はこう続けます。「一方で,街中のような日常の走行シーンでも LSD の差動制限力によるヨーモーメントが発生し,常にダイナミクス性能に影響を与えている。」——滑るかどうかに関係なく、この装置は走っているあいだずっとクルマの動きに関わっている、という話です。

ここからが本題です。タイヤがグリップしているあいだ、差動を制限するほどクルマは曲がりにくくなります。左右の車輪に回転差をつけまいとする力が、旋回中のクルマを直進方向へ戻そうとする力(ヨー復元モーメント。クルマを上から見て向きを変えようとする力のうち、旋回をやめる向きのもの)として働くからです。技報は、この状態ではオープンデフの車両に比べてアンダーステア傾向が強いと書いています。

ただし向きは固定ではありません。旋回中の内側のタイヤが浮き気味になって空転すると、力の移り方が逆になり、旋回を促す向きのモーメントが出ます。つまり同じ装置が、グリップしているあいだは曲がりにくくする側に、滑らせると曲げすぎる側に働く。滑りにくさと曲がりやすさは、ひとつのつまみの両端にあります。

マツダ技報 No.41(2025)に載った「ASYMMETRIC LIMITED SLIP DIFFERENTIAL の開発」という論文は、このつまみをアクセルを踏んでいるときと戻しているときで別々に設定した装置の話です。ロードスターとロードスター RF に採用されたと書かれています。この記事は、この論文1本だけを読み解きます。

先に結論

  • 効きを2つに分けた:加速側(Drive 側)と減速側(Coast 側)で、差動を制限する強さを別々に設定できる構造にした。技報は、ベースにしたのが「先代のトルクセンシング式スーパー LSD(Super LSD)」で、そこにカム機構を追加したと書いています
  • 数字は逆向きに動いた:加速側のロック率は0.3333から0.2593へ下げ、減速側は0.3939へ上げ、常時かかっている初期摩擦トルクは16.3から9.6へ下げています
  • ねらいは3つ:技報は「日常域の旋回性と安定性の向上」「高速走行における減速旋回時の安定性向上」「旋回内輪空転時の車両挙動のアクセルコントロール性向上」を挙げています
  • 効く向きは1つではない:技報の1章によれば、差動制限が生むモーメントは、タイヤが限界の内側にあるあいだは直進へ戻す向き、旋回内輪が空転すると逆に旋回を促す向きになります。ねらいの3つ目は後者の場面のためのものです
  • ただし外乱への効き方は逆転する:1輪分の駆動トルクが −110[Nm]より駆動側の範囲では、路面の凹凸に対する安定性は上がる一方、横風のような外乱に対しては「わずかに低いものの Super LSD とほぼ同等である」とされています。技報は「外乱の種類によって,外乱安定性の大小関係が逆転する」と書いています

差動を制限すると直進へ戻ろうとする、ただし条件がある

論文の要約は、着目した点をこう書いています。

デファレンシャルギアの差動制限力によって車両に発生する復元方向のヨーモーメントに着目して

ただし、その向きに条件が付くことも、同じ論文の1章に書かれています。

制駆動力がタイヤ摩擦円内であれば旋回内輪側のトルクが増加し,旋回外輪側のトルクが減少することで復元方向のヨーモーメントが発生する
一方,横加速度が大きく,旋回内輪の接地荷重が減少して駆動力がタイヤ摩擦円を超え,旋回内輪が空転する場合,旋回内輪に対して外輪側のトルクが増加することで促進方向のヨーモーメントが発生する。

タイヤ摩擦円というのは、そのタイヤが路面に伝えられる力の限界を表す考え方です。限界の内側にいるあいだは直進へ戻す向き、限界を超えて内側のタイヤが空転すると旋回を促す向き。あとで出てくる3つ目のねらいは、この後者の場面を相手にしています。

だから、LSDを強く効かせるほどクルマは安定する方向へ寄り、そのぶん向きは変わりにくくなる(ただし空転させれば話は別)。技報が掲げた技術コンセプトは、この二律背反をそのまま言葉にしたものです。

加速時,減速時それぞれに適切な差動制限力を付与することで,コーナリング時の安定性と軽快感を高次元でバランスさせるという技術コンセプト

安定性か軽快感か、どちらかを選ぶのではなく、場面ごとに別の答えを用意するという発想です。

後輪駆動車が抱えている、減速中の弱点

なぜ加速側と減速側を分ける必要があったのか。技報は、後輪駆動車の性格から説明を始めています。

ロードスターをはじめとする後輪駆動車は,一般的に高速走行における急減速時に駆動輪の接地荷重が減少し,ヨー挙動が不安定になりやすい。

強くブレーキをかけると荷重は前へ移り、後ろのタイヤが路面を押す力は減ります。その後輪が駆動輪でもある後輪駆動車では、まさに不安定になりやすい場面で差動制限の効き方が効いてくる。だから減速側だけは強くしたい、という理屈になります。

一方で、ふだんの運転のようにアクセルを軽く踏んで走っている領域では、制限が強いと曲がりにくさのほうが出てきます。技報が挙げたねらいの1つ目「日常域の旋回性と安定性の向上」は、この領域の話です。

3つ目のねらい「旋回内輪空転時の車両挙動のアクセルコントロール性向上」については、技報は「エンジンが発生可能なトルクに適した差動制限力に設定することで,トラクション性能を維持するとともに,不要なヨー促進モーメントの発生を抑制する」ことをねらったと書いています。

カムの角度を、踏むときと戻すときで変えた

では、どうやって1つの装置で2つの効きを作るのか。技報の説明はこうです。

サイドギアとカムリングにカム機構を設けることで,加速側(Drive 側)と減速側(Coast 側)それぞれに対して異なる差動制限特性を設定できる構造とした。

そして差動を制限する仕組み自体は、次のように書かれています。

差動時は入力トルクに応じて,カムでスラスト力が発生し,カムリングとデフケースに固定されたテーパーリング間の摩擦によって差動を制限する機構である。

入力されたトルクがカムの斜面によって軸方向の力に変わり、その力で摩擦面を押し付けて回転差を制限する。斜面の角度を、力が加速方向にかかるときと減速方向にかかるときで変えておけば、同じ装置のまま効きの強さを別にできる——技報の要約は、これを「カム機構を追加し,減速時と加速時で異なるカム角を設定することで実現した」と書いています。あわせて、サイドギアとカムリングのあいだに皿バネを設けて、サイドギアの全周に安定した初期の締め付け(プリロード)を与えられるようにしたとも書かれています。

Table 2 に並ぶ数字は3つ

技報の Table 2 には、先代と新型の特性値が並んでいます。

項目Super LSD(先代)Asymmetric LSD
加速側のロック率 αD0.33330.2593
減速側のロック率 αC0.33330.3939
初期摩擦トルク T016.39.6

数値はマツダ技報 No.41(2025)「ASYMMETRIC LIMITED SLIP DIFFERENTIAL の開発」の Table 2 によります。同じ表の同じ欄どうしの比較です。技報は「α は正の比例定数であり,一般的にロック率と呼ばれている。」と説明しています。この表に単位の記載はありません。

技報は、初期摩擦トルク(プリロード)を下げた理由をこう説明しています。日常域で発生する制駆動力の範囲では「影響が大きいプリロードによる差動制限力を小さくすることで,旋回性を妨げるヨー復元モーメントを低下し,旋回性を向上するとともに,路面からの外乱入力によるヨー方向の車両応答を低減し,結果的に安定性を向上する」。曲がりやすさと、外乱への強さを同時に取りにいったという説明です。

読み方はこうです。先代は加速側も減速側も同じ0.3333でした。つまり踏んでいても戻していても効きは同じ。新型はそれを加速側0.2593・減速側0.3939へ振り分けています。さらに、伝達トルクの大きさによらず常にかかっている初期摩擦トルクは16.3から9.6へ下がりました(当サイトが割り算すると約0.59倍です)。

ここで大事なのは、パラメータの数字だけで単純化すると減速側は強く、加速側と初期摩擦トルクは弱くなっているという点です。ただし実際にどちらが強く効くかは、かかっているトルクの大きさで決まります。技報は、1輪分の駆動トルクが −110[Nm]のところを境に、新旧の摩擦トルクの大小関係が入れ替わると書いています。ちなみにこの車両は、車速50[km/h]の直進定常走行中にその値を入れると −0.085[G]程度で減速するとも書かれています。ごく弱い減速まではむしろ効きを緩め、それより強く減速したところから効きを強める、という分け方です。

まず、机上の計算どおりに実車が動いた

テストコースの話に入る前に、その手前の検証に触れておきます。技報は机上のシミュレーションと同じ走行条件で実車を走らせ、日常域では差動制限トルクが小さくヨーレイトが増える(=向きが変わりやすい)こと、強く減速しながら旋回する場面では差動制限トルクが大きくヨーレイトが減る(=安定する)ことを確認しています。ねらいの1つ目と2つ目が、実車でも成立したという報告です。

この比較では、計測用の専用装置でアクセル開度を一定に制御し、ドライバーはステアリング操作のみで旋回しています。そして「ドライバーには,インフォームドコンセントを得て,できる限り同じステアリング操作で走行するように指示し,実験を行った。」と明記されています。人の操作を可能なかぎりそろえて、装置の違いだけを見るための条件です。

テストコースでは、ドライバーの操作そのものが変わった

次に紹介されているテストコースでの計測は、条件が変わります。こちらはブレーキ・変速・アクセルを含む一連の操作をドライバーが行う走り方です。

以下に出てくる「ヨーレイト」は、クルマの向きが変わる速さのことです。技報は、机上のシミュレーションと実車計測の両方で狙いどおりの変化を確認したうえで、テストコースでの計測結果を載せています。コーナーは R170 から R60 へ変化する左コーナで、進入が下り坂、脱出以降が登り坂。車速約130[km/h]からブレーキで約85[km/h]まで減速し、ギア段を5速から3速へ変速してから操舵を開始する場面です。

先代 Super LSD の記録では、コーナー脱出に向けてアクセルを踏み込んでいく場面でこうなったと書かれています。

旋回内輪が空転傾向となり,旋回内輪から外輪へ急激にトルクが移動することで,ヨーレイトが急増

そしてドライバーは、カウンタステアとともにアクセルを抜いて挙動を抑える操作をしていた、と記録されています。一方、新型では次のように書かれています。

無駄な修正操作が無く,操舵角も滑らかに切り戻しながらコーナを脱出できている

進入側でも違いが出ています。それぞれの計測の時刻で見ると、先代では20[s]付近から徐々に操舵量を増やしていく操作だったのに対し、新型では21[s]付近から操舵を開始して、操舵初期から操舵角が大きくなっていた。技報はその理由を、減速中に後輪荷重が減るシーンでも差動制限力が大きくなって安定性が向上し、ドライバーが操舵初期から舵角を増やしていけたためだと考える、と書いています。

装置を変えた結果として、クルマの動きだけでなく人間の手の動かし方が変わっている。技報が実車の記録として残しているのは、この部分です。

一般道での評価で挙がった声

技報は「国内外において,一般ドライバーを含む多数のドライバーにより,Asymmetric LSD と Super LSD を比較する官能評価を行った。」と書き、得られたコメントを3つ挙げています(人数は記載されていません)。

ターンインから定常旋回にかけて,操舵に対してリニアな応答でスムーズなコーナリングができる
アクセル OFF でのターンインにおいて,Asymmetric LSD は車両挙動が安定している。特に下り坂のターンイン時は安定感が大幅に向上している
旋回内輪がスリップするシーンでは,急激なヨー挙動の変化がなく,コントロール性が高いため,安定して加速ができる

外乱への強さは、種類によって逆転する

この論文が読んでいて面白いのは、最後の章で自分たちで外乱への効き方まで測っているところです。技報は1章でも、差動制限機構を積んだ車両では路面外乱や横風入力が平面運動に影響するという研究結果があり、この観点も考慮して開発を進めていく必要があると書いています。

以下の比較は、1輪分の駆動トルクが −110[Nm]より駆動側の範囲での話です。この範囲では新型のほうが差動制限力が小さくなります(それより強く減速した領域では大小が入れ替わります)。

1つ目は路面からの外乱。これは代償ではなく、ねらいの1つ目に沿った成果として書かれています。車速80[km/h]で直進定常走行中、左後輪1輪だけが10[mm]の突起を乗り越えるシミュレーションでは、新型のほうがヨーレイトのピーク値も横方向の変位も小さくなりました。初期摩擦トルクと加速側のロック率を下げたことで、凹凸のある路面でも外乱の影響を受けにくくなった、という説明です。

2つ目は横風。同じ80[km/h]の直進走行中に、車体へ直接ヨーモーメントの外乱を与えたシミュレーションでは結果が逆になりました。差動制限トルクが小さいぶん復元方向のモーメントも小さくなるため、新型のほうがヨーレイトのピーク値が大きい。技報は「横風外乱のような車体に入力されるヨーモーメント外乱に対する安定性はわずかに低いものの Super LSD とほぼ同等である」と書いています。

そして、章の結びがこうです。

外乱の種類によって,外乱安定性の大小関係が逆転することから,LSD 開発時の検討においては,外乱安定性に関する性能バランスを考慮した上で,差動制限特性を設定する必要がある。

路面の凹凸には強くなり、横風には「わずかに低いものの Super LSD とほぼ同等である」。どちらを優先するかを決めてから特性を設定する必要があるということを、開発した側が自分の論文に書いている。ここがこの資料のいちばん誠実なところだと思います。

なお論文は、ねらいそのものについては達成したと書いています。要約の最後の一文は「Asymmetric LSD の採用によって,日常域から高速域までの旋回性と安定性を両立できた。」です。旋回性と安定性は両立できた、そのうえで外乱への強さは種類によって優劣が入れ替わる——この2つが同じ論文に並んでいます。

この記事が扱っていないこと

  • 実車の使用感。当サイトはこの装置を積んだ車両を所有しておらず、走らせた記録もありません。本記事はマツダ技報の記述のみを根拠にしています(冒頭のデフの基本的な仕組みの説明だけは当サイトによる一般的な補足です)
  • どの年式・どのグレードに搭載されているか。論文はロードスター/ロードスター RF に採用したと書いていますが、搭載時期やグレードの範囲には触れていません。購入を検討する場合は販売店で現行の仕様をご確認ください
  • 他社の差動制限装置との比較。この論文が比較している相手は先代の Super LSD で、他社製品との優劣は述べていません
  • 検証に使われた車両は、論文の Table 1 に「※開発車両の諸元値」と注記されたマニュアルトランスミッションのロードスターです(車両質量1050[kg]、ホイールベース2.310[m])。市販車の諸元表ではありません

まとめ

左右の車輪の回転差を制限すると、クルマは直進へ戻ろうとします。滑らせない力と、曲がる力。この2つが同じつまみでつながっているところに、差動制限装置の難しさがあります。

マツダが選んだのは、つまみを1つ増やすことでした。カムの角度を加速側と減速側で変え、加速側のロック率は0.3333から0.2593へ、減速側は0.3939へ。常にかかっている初期摩擦トルクは16.3から9.6へ。数字が逆向きに動いているのは、効かせたい場面と効かせたくない場面が別だったからです。

論文は、ねらいだった旋回性と安定性は両立できたと書いています。そのうえで最後の章では、−110[Nm]より駆動側の範囲について、路面の凹凸には強くなり横風にはわずかに弱い(ほぼ同等)と測り、外乱の種類によって優劣が逆転すると結論しています。だから性能バランスを考えたうえで特性を決める必要がある、と。良くする対象を選ぶことが設計だという話として読めます(この読み方は当サイトによる整理です)。

同じロードスターが、パワーではなく軽さと応答で速さを作ってきた話はなぜロードスターはパワーを追わないのか?マツダ「人馬一体」の設計思想と5グラムの軽量化に、左右の駆動力差を機構ではなく制御で作るという別の答えを選んだメーカーの話はなぜ三菱は「曲がる」を駆動力で作るのか?AYCからツインモーター4WDへ、四輪制御の物語にまとめています。

出典:マツダ技報 No.41(2025)「ASYMMETRIC LIMITED SLIP DIFFERENTIAL の開発」(P158〜163)。マツダ株式会社の公開PDFを2026年9月18日に閲覧しました。引用はすべて原文どおりで、全角の読点や記号、単位の表記も原文に従っています。差動制限の強さと曲がりやすさをひとつのつまみの両端にたとえた部分と、数字の読み方は当サイトによる整理です。

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