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二度先を越されながら「世界最高効率」を目標に掲げるまで — ホンダのハイブリッドが通った回り道

公開: 2026-08-29 / 更新: 2026-08-29

クルマを知るのイメージイラスト

ホンダのハイブリッド車には、いま e:HEV という名前が付いています。エンジンで発電してモーターで走る場面と、エンジンが直接タイヤを駆動する場面を切り替える方式で、フィットにもステップ ワゴンにもアコードにも載っています。この方式にたどり着くまでの経緯を、ホンダ自身が社史に書いています。読むと、思っていたより回り道です。

先に結論です

  • 出発点はハイブリッドではなくEVだった — 1988年にわずか4人で始まった電気自動車の研究は百数十人のプロジェクトに育ち、その過程でモーターと制御装置を自社で持つという判断に至った
  • 一度目に先を越されたのは1997年のプリウス — 社史は「最大の誤算」と書き、当時の首脳陣の言葉まで載せている
  • 二度目は2011年末のアクア — こちらは開発中のモーターの考え方が同じで、特許の壁が量産の前に立ちはだかった
  • 世界最高燃費を取ったシステムを、社史自身が「1つの答えでしかない」と書いている — IMA搭載車は累計100万台まで広がったが、理想はその時点で別に定義されていた
  • 2つのモーターが収まらないという難題は、変速機のほうを取り外すことで解けた — 社史は電動化技術が追いつかなかったことも書いており、そのうえで突破口は構造の見直しだったという書き方になっている
  • 一度3方式に広げてから、1つに集約している — 2012年に3タイプ同時発表、2019年に2モーター方式へ集約して e:HEV と改名した

この記事が読むのは、本田技研工業株式会社が公開している『本田技研工業 75年史』のうち第3章第2節の第5項(HONDA EV Plus)と第6項(ハイブリッド・システム)の2つです。年式・数値・引用はすべてこの2ページの記載によります。

1988年、4人 — ハイブリッドの前にEVがあった

ホンダが電動化の研究を始めたきっかけとして社史が挙げているのは、1987年11月のソーラーカーレースの紹介記事です。会議室でそれを見た開発責任者の荒木純一が、代替燃料車の時代は遠くないかもしれないと考えた、という書き出しになっています。翌1988年4月に電気自動車の研究プロジェクトが始まりました。わずか4人のチームです。

持っているものは何もありませんでした。

研究所にバッテリーやモーターなどEV関連の技術を持った従業員は皆無だ。

荒木の言葉としてはこう記載されています。

代替燃料の中で本命視されていたのは電気でしたが、ホンダは電気パワープラントをつくった経験がなかった。

4人はそれを逆手に取ります。先行メーカーは自分たちが積み上げてきたものの延長で開発するはずだから、こちらはその時点で最先端の技術を集めて始めよう、という結論でした。

『EVに長く取り組んできた先行メーカーは、それまでやってきたことの延長線上で開発を進めるだろう。ならば、われわれは現在の最高で最先端の技術を利用し、開発をスタートさせよう』と結論付けたのです

その後、1990年10月の研究所トップによる協議でEVの本格開発を進めるべきだと再確認され、1991年初めにEVは重要な戦略機種と位置づけられて、関係する研究所や製作所から人が集められ総勢百数十人の一大プロジェクトになります。ただし、そこからも失敗は記録されています。1991年7月、百数十人体制になって最初に作った試作車は、市販のモーターとバッテリーを載せてどうにか走りました。走ったことにメンバーは安堵しますが、荒木からは怒号が飛びます。

これがクルマか。一体、何をつくっているんだ。穴掘って埋めちまえ

理由は「経験がないことに妥協したクルマ」だと一見して分かったから、と書かれています。この試作車の反省から、バッテリーの形状・サイズについてメーカーへの提案が行われ、それが最終的には世界的な標準になったと記載されています。

のちのちまで効いた判断が出てくるのは、この規模になってからでした。モーターと制御装置を内製にしたことがそれです。多くのメーカーが一般的なインダクションモーターを使うなか、ホンダは当時の大型モーターとしては一般的でなかったDCブラシレスモーターを選び、自社で作ることにしました。理由は社史にはっきり書かれています。

また、モーターと制御装置はガソリン車のエンジンに相当し、将来はホンダの基幹技術になる可能性がある。ぜひともその技術を手中に収めたかった。

ハイブリッドという言葉はまだ出てきません。この時点では電気自動車の話です。社史がここで書いているのは基幹技術になる「可能性がある」という当時の見通しまでで、この内製がのちのハイブリッドに直接使われたとは、この2ページのどこにも書かれていません(第6項に「1988」は0件)。社史が自分で架けている橋は、第5項の「わずか4人のチームが、ホンダ電動化技術の礎を築いた。」までです。

1996年4月に HONDA EV Plus の技術発表、1997年4月にラインオフ。社史はこう記載しています。

わずか4人のチームが、ホンダ電動化技術の礎を築いた。

ただし第5項が終わるのはこの一文ではありません。締めくくりは、米国での実走行テストと並行して行ったインタビュー調査の思い出です。量産へ向けた開発の責任者を務めた松本謙次が忘れられない言葉として挙げているのは、技術の話ではありませんでした。

今でも私は、『This car is right for me. I'm doing the right thing.(このクルマは私にぴったり。私は正しいことをしている)』という米国人の言葉を忘れません

1997年 — 一度目に先を越された

初代インサイトの開発が始まったのは1996年です。与えられた開発目標は世界最高の低燃費車で、数値としては次のように書かれています。

どこの量産車も成し得ていない「35km/Lを達成せよ」

先行して開発されていたのが、のちに IMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)と呼ばれる方式です。エンジンを主動力に使い、発進や加速で必要に応じてモーターが手伝う。1つのモーターと比較的小容量のバッテリーで軽くコンパクトに作れ、生産コストも抑えられる、と説明されています。ただし社史はそれだけでは目標に届かなかったとも書いています。空気抵抗係数の追い込み、アルミボディー、そして車両重量820kgという「絶対にクリアしなければならない数値」。すべての部品が軽量化の対象になりました。

そこへ1997年が来ます。

開発を進めていく中で、1997年に最大の誤算が起きた。

トヨタがプリウスを発表したのです。社史は開発者たちが「やられた」と口にしたと書き、さらに当時の首脳陣の述懐まで載せています。

あれこそホンダが最初に出さねばならなかった

自社の社史に、他社に負けた瞬間の悔しさを名指しで書き残しているわけです。ただし話はそこで終わりません。プリウスの方式(発進・低速時はモーター主体、速度が上がるとエンジンとモーターを併用)を見たうえで、社史はこう続けます。

自分たちが取り組んでいる技術の独創性に自信が持てることが分かると、開発は加速していった。燃費は、勝てる。

1999年11月、初代インサイトが発売されます。燃費は35km/L。これは10・15モード走行の5速MT車の値として注記されている数字で、いまの表示方法とは別の基準です。車重は820kg。

IMAは、社史の中でも「1つの答えでしかない」

ここが読んでいて意外なところでした。世界最高燃費を取ったシステムについて、社史は次のように書きます。

しかしこれは、1つの答えでしかない。

IMAが軽んじられているわけではありません。同じページには、IMA搭載車がエンジン車から違和感なく乗れるハイブリッドとして評価され、2012年10月に世界約50カ国・累計100万台に達したと書かれています。それでも「1つの答えでしかない」と書けるのは、その時点で理想が別に定義されていたからです。

モーターだけの走行・エンジンで発電しながらのモーター走行・エンジン走行、この3つの走りを自由に切り替えられるシステムが、理論的には最も効率が良い

この3つを自由に切り替える方式そのものは、1999年に当時の小型車ロゴで実証実験機が作られ、燃費も走りも良かったと記載されています。問題はクルマのパッケージングとして成立しなかったことで、モーターの発電効率をさらに高めながらシステム全体をコンパクトにする必要がある、と書かれています。発電用と走行用の2つのモーターを、変速機のケースに収めなければならない。

2005年に2モーター方式の先行研究が正式に始まります。このとき組織も作り替えられました。電気系とメカ系に分かれた組織では目標を達成できないという危機感から、部門を統合して AHR(Advanced Hybrid Research)が作られています。目標は電気伝達効率85%。当時の競合他社のハイブリッド・システムに燃費で勝てる水準として定められた数値です。

なぜ効率にそこまでこだわるのかも、担当者の言葉で説明されています。

例えば、それぞれの効率が93%くらいと非常に高くても、全部掛け合わせるとあっという間に70%台に落ちてしまう。

発電用モーターとそのインバーター、走行用モーターとそのインバーター。電気で走るときは、これらの効率が掛け算で効いてくる。この4つが個々に93%でも、掛け合わせると約74.8%まで落ちます(当サイトの計算)。

技術も足りていなかった。そのうえで、突破口は構造の見直しだった

ここで断っておくと、足りなかったのが構造の発想だけだったわけではありません。この期間の中見出しを社史は「進化の理想は2モーターしかし電動化技術が追いつかない」としており、本文も次のように書いています。

しかし、うまくいかない。モーターの効率を上げるのはもちろんだが、最大の課題はコンパクト化だった。

そのうえで、2つのモーターが収まらないという難題の解き方が、記事にする価値のあるところです。技術的な検討と議論を重ねた末に出てきた答えは、モーターを小さくすることではありませんでした。

シンプルに、モーター以外は全部取ってしまえ

CVTをなくす、という意味です。エンジンで走るときは直結クラッチでつなぎ、あとは2つのモーターだけにする。収まらないなら、収める側を減らすという向きの解き方でした。

成立する理屈も書かれています。ホンダ独自のシリーズパラレル方式は高速のクルーズではエンジン走行に切り替わる。エンジンの出力を発電に回すより駆動に直接使うほうが燃費に有利だからで、それならプーリーとベルトではなく、マニュアルトランスミッションのトップギアに相当するギアと直結クラッチがあれば足りるということになります。

なぜもっと早くここに来なかったのか。開発に長く携わった仁木学の言葉として、社史はこう記載しています。

なぜ最初からここに至らなかったのか。それは、電気伝達効率が悪くて燃費性能は出にくいだろう、モーターは大きくて搭載も難しく限られた使い道しかないのではないか、といったシリーズハイブリッドに対する先入観があったからです。構造を見直す視点が必要でした

ここで言われているのは構造案にたどり着くのが遅れた理由であって、技術に問題がなかったという話ではありません。2009年3月に量産開発段階へ移り、開発目標は「世界最高効率」と定められました。ここでいう効率はパワートレーン効率で、車両走行エネルギーを消費燃料エネルギーで割った値だと注記されています。

2011年末 — 二度目に先を越された

2013年発売のアコードに i-MMD が搭載されますが、開発陣はそこで止まりませんでした。他のミドルクラスに載せるにはモーターをもっと小さくする必要があり、丸い銅線を使う分布巻きから、角型断面の銅線を組み上げるセグメントコンダクター巻きへ進もうとします。世界最高効率を意味する HAW(Honda Advanced Winding)モーターです。

その開発中に、二度目が来ます。

HAWモーターを開発中の2011年の末には、またもやトヨタに驚かされる出来事が生じた。

アクアが発売され、そのモーターがHAWモーターと同じ考え方のものだった、と書かれています。続く一文は類似性にチームは愕然とした。です。1997年の「やられた」に当たる動揺は、ここでも記録されています。ただし技術で劣っていたとは書かれていないので、続きを正確に引きます。

検証するとHAWモーターの方がサイズ・スペックともに上回っていることが分かったものの、先行されたことが量産に向けた段階でチームを苦しめる原因となっていった。

構造が似ていれば製法も似てくる。そこに特許の壁が立ちはだかった、という展開です。研究所と生産技術の会社、そして浜松製作所が一体となって克服したと記載されています。完成したHAWモーターは、従来のi-MMDのモーターに対してシステム比23%の小型軽量化と高出力・高トルク化を実現し、第2世代のi-MMDとして2016年のオデッセイに搭載されました。

2回の書き方は同じではありません。1997年のプリウスは、発表で先を越されたという書き方です。一方2011年末のアクアで書かれているのは「特許の壁」で、これは権利の問題だと当サイトは読みました。第6項全体を数えると「特許」は1件(HAWモーターの箇所)、「権利」と「日程」は0件です。どちらも技術で劣っていたとは書いていない、という点だけが共通しています。

3つに広げてから、1つに集約した

ここも単線の物語ではありません。アコードの開発にめどが立った2012年、ホンダは3タイプのハイブリッド・システムを同時に発表しています。小型車向けの1モーター式 SPORT HYBRID i-DCD、中型車向けの2モーター式 SPORT HYBRID i-MMD、大型車向けにV6エンジンと3モーターを組み合わせた SPORT HYBRID SH-AWD の3つです。排気量の違う機種それぞれに合わせて選択肢を増やす、という考え方でした。

その7年後、2019年10月にフォーメーションは畳まれます。小型車にも積めるようになった2モーター方式へ集約し、i-MMD から e:HEV へ改名。2020年1月発売のステップ ワゴンを皮切りに、フィットやアコードへと広がりました。

広げてから絞るという順序です。社史はこの項の冒頭で、方式そのものについてこう書いています。

つまり低燃費という絶対的な目的に対して、システムの仕様に絶対的な正解はない。

絶対的な正解がないから、つくり手の意思で決まる、と続きます。3方式を同時に出したことも、7年後に1つへ集約したことも、この前提の上では矛盾しません。

この記事が扱っていないこと

この記事は、ホンダの社史2ページに書かれていることだけを読んでいます。他社のシステムの評価はしていません。プリウスとアクアはホンダの社史の中に出てくる範囲でしか触れておらず、トヨタ側の資料は読んでいません。両社の方式の優劣を比べるものでもありません。

また、HONDA EV Plus の販売実績や生産期間は、この2ページからは分かりません。上で引いた米国人の言葉は、EV Plus の発売前に行われた実走行テストと並行してのインタビュー調査で得られたものです。第5項に「生産終了」の語は出てこず(0件)、「販売台数」は1件ありますがZEV規制を説明する注記の中の語で、EV Plus の実績を示すものではありません。この記事が追っているのは、EVで手に入れた技術がハイブリッドへつながった経路だけです。

ハイブリッドの仕組みそのもの(何が燃費を良くしているのか)はハイブリッド車はなぜ燃費がいい?トヨタ式と日産式、しくみの違いまで読み解くで、エンジンを発電に徹させる日産の方式はなぜ日産のエンジンはタイヤを回さないのか?EVから生まれたe-POWER、逆転の発想の物語で扱っています。CVTを取り外すという判断の意味は、なぜ日本車はCVTだらけで、欧州車は使わないのか?「変速をなくす」という設計思想と合わせて読むと分かりやすいはずです。

まとめ

  • ホンダの電動化は1988年の4人のEVチームから始まった。モーターと制御装置の内製について社史が書いているのは「将来はホンダの基幹技術になる可能性がある」までで、そこから先を線でつないだのは当サイトの読みです
  • 1997年のプリウス発表を社史は「最大の誤算」と書き、それでも燃費では勝てるとして1999年に初代インサイトを出した(35km/L・10・15モード走行の5速MT車、車重820kg)
  • 世界最高燃費を取ったIMAについても、社史は「1つの答えでしかない」と書いている
  • 2つのモーターが収まらない問題は、CVTのほうを取り外すことで解けた。当事者は、その構造案に行き着くのが遅れた原因を先入観だったと書いている
  • 2011年末のアクアでは特許の壁が量産の前に立ちはだかったが、検証ではHAWモーターのほうがサイズ・スペックともに上回っていたと記載されている
  • 2012年に3方式へ広げ、2019年に2モーター方式へ集約して e:HEV になった

読み終えて残るのは、勝ち負けの話ではありませんでした。この項にはこう書かれています。

エンジンで語られてきた「パワーと燃費」は、電動パワーユニットでは「効率」に置き替わる。

そして第6項が実際に終わるのは、この一文ではありません。末尾はこうです。

技術者たちによって蓄積されたハイブリット・システムの技術は、今後普及が期待されるEVやFCVといった電動車の取り組みに引き継がれている。そして、ホンダが目指すカーボンニュートラル社会の実現に向け、新たな挑戦が続けられている。

この記事はEVからハイブリッドへという向きで読んできましたが、社史が最後に書いている継承の向きは逆です。ハイブリッドで積んだものが、これからのEVとFCVへ渡される、と書かれています。行き来しているのは同じ技術で、どちらが出発点かは読む時点によって変わるということなのだと思います。

出典: 本田技研工業株式会社『本田技研工業 75年史』第3章 独創の技術・製品 第2節 四輪車 第5項「HONDA EV Plus」および第6項「ハイブリッド・システム」(本文中の引用・年式・数値はすべて同2ページの記載)。記事内の見出し、および一度目・二度目という数え方と、効率を4つ掛け合わせた計算は当サイトによる整理です。

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