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セルシオ/レクサスLS400 — 社史の同じ項に、鋼板のつなぎ方と販売店の選び方が並んでいる

公開: 2026-08-25 / 更新: 2026-08-25

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高級車の話は、たいていクルマ側だけで終わります。どんなエンジンを積んで、どんな装備が付いていたか。ところが、1989年に出た1台については、メーカー自身の記録がそこで終わっていません。

北米では「レクサス LS400」、日本では「セルシオ」として売られたクルマです。トヨタの社史はこの1台を1つの項にまとめていますが、その項に並んでいるのは、鋼板のつなぎ方やアルミの鋳造法といった作り方の話と、販売店を何店から何店に絞ったか、価格をどう置いたかという売り場の話でした。しかも売り場の話は、2ページ目がまるごとそれです。当サイトで本文の文字数を数えると、その840字は項全体の約42%にあたりました。

先に断っておきます。この記事が読むのは、トヨタが2012年に公開した「トヨタ自動車75年史」の記述と、同じ社史の車両詳細情報のページです。発売から20年以上経ってからまとめられた自社の記録であって、1989年当時の発表資料ではありません。当時こう考えていた、と読むのではなく、この会社が自社の歴史をどう書いたかとして読んでください。

先に結論です

  • 社史の第5項は2ページに分かれていて、1ページ目が開発、2ページ目が販売網。本文を数えると全体で約2,000字。ページ単位では1ページ目が1,176字、2ページ目が840字で、その2ページ目まるごと(販売網・レクサス憲章・価格設定・受賞・欧州展開=840字・約42%)が売り場の話(この集計は当サイトが本文の文字数を数えたものです)
  • 開発は1984年に「マルFプロジェクト」の名称で着手し、社史の言葉で「開発期間は足かけ6年に及び、製作したクレイモデルは約50台、試作車は約450台、走行テストは350万km余り」
  • 掲げられたのは「Yetの思想」(妥協を許さず矛盾する要素をも両立させる)と「源流対策」(問題が生じればその根本までさかのぼって解決する)。ただしこの2つが具体的に何を指すのかを、社史はどちらも名指しでは説明していません。振動・騒音を「源流対策」と結び付けているのは車両詳細情報のページで、そこに手段は書かれていません。手段(制振鋼板とプロペラシャフトの製造法)を挙げているのは1ページ目のほうです
  • いっぽう売り場のほうは、約1,600店の応募から1次分として81店を選び、1987年8月に「レクサス憲章」を制定。価格は「性能面でメルセデス・ベンツの同等クラス車よりも価格を1万ドル程度安く設定した」
  • そしてこの項の締めくくりは成功譚ではありません。ヨーロッパでは「ショップ・イン・ショップ」での開始となり、社史は「立ち上げ時には苦戦を強いられた。」と書いて項を終えている

第5項は2ページある

この記事の題材は、社史の第3部第2章第3節の第5項です。ここには落とし穴がひとつあって、1つの項が2ページに分かれています。1ページ目の表題が「「Yetの思想」と「源流対策」」、2ページ目が「「レクサス憲章」」です。1ページ目だけを読むと開発の話だけが残り、2ページ目だけを読むと売り方の話だけが残ります。

当サイトで本文の文字数を数えたところ、内訳はこうなりました。

  • 背景・顧客調査・基本コンセプト:572字(約28%)
  • 開発と生産技術(制振鋼板、CD値、田原工場、工法、開発規模の数字):604字(約30%)
  • 販売網・レクサス憲章・価格設定・受賞・欧州展開:840字(約42%)

合計で約2,000字。数え方は本文の段落だけを対象にしており、見出しや図版のキャプションは含めていません。この集計も、3つへの区分も当サイトが行ったもので、社史がこういう配分だと述べているわけではありません。上の1つ目と2つ目はどちらも1ページ目にあるので、ページ単位で見れば1ページ目1,176字・2ページ目840字で、多いのは1ページ目です。さらに1つ目の先頭219字は、レクサスという販売網が置かれた事情の記述なので、売り場側に数えることもできます。区分の置き方しだいで割合は動きます。ただ、少なくとも高級車を1台出すという仕事の記述が、クルマの中身だけでは終わっていないことは分かります。

なお、レクサスという販売網が置かれた背景そのものについては、当サイトの初代ハリアーの回で同じ項の冒頭を読んでいます。北米での現地生産が本格化して輸出枠に余裕が生じたという事情と、トヨタ車に乗っていたお客が上級車に移るときの受け皿がなかったという事情の2つです。米国での顧客調査で確認された5項目も、そちらで引用しています。ここでは繰り返さず、その受け皿として置かれた1台の中身から入ります。

1984年、「マルFプロジェクト」として始まった

同販売網の看板モデルである初代レクサスLS400は、1984(昭和59)年にフラッグシップのFを示す「マルFプロジェクト」の名称で開発に着手した。

着手が1984年、北米発売が1989年9月ですから、暦の上では5年です。社史自身は「足かけ6年」と書いており、これは1984年と1989年の両方を年として数えた言い方だと思われます。どちらも同じ期間の別の数え方です。

米国での調査を経て、社史は開発の入口をこう書いています。

基本コンセプトは「世界トップレベルのハイパフォーマンス・ラグジュアリーカーの創造」とし、社内の技術開発や生産技術、製造、営業などの関係部門だけでなくグループ各社や仕入先とも一体となって、その実現に取り組んだ。開発にあたっては、妥協を許さず矛盾する要素をも両立させる「Yetの思想」と、問題が生じればその根本までさかのぼって解決する「源流対策」を徹底させながら未知のゾーンに挑んだ。

ここで挙がっている関係先は「技術開発や生産技術、製造、営業など」と「グループ各社や仕入先」で、6つ以上あります。そのうち当サイトが着目したのは「生産技術、製造」と「営業」の2つです。この項の残りが、ちょうどその2方向に分かれていくからです。

矛盾を両立させる、の中身

「妥協を許さず矛盾する要素をも両立させる」は、そのままでは精神論に見えます。同じページの続きに、両立の例として読める記述があります。

振動と騒音を抑えるためにボデーに制振鋼板を採用したほか、プロペラシャフトの高精度な製造法などを開発した。また、量感を備えたデザインでありながら、空気抵抗係数であるCD値0.29というトップレベルの空力性能を実現するため、窓ガラスやドアハンドルはボデーと隙間が生じない設計とした。

後半のほうが分かりやすい対立です。空気抵抗を減らすだけなら車体を絞るのが早道ですが、高級車としての見え方は逆方向にあります。社史の書き方は、どちらかを選ばずに窓ガラスとドアハンドルという細部の側で辻褄を合わせたというものです。ただし社史はこれを「Yetの思想」の実例だとは書いていません。両立の例として読んだのは当サイトです。

ただし、両立の中身をトヨタ自身が名指ししている一文は別のページにあります。日本仕様のセルシオのページです。

「セルシオ」/「レクサス LS400」は開発のすべてを原点からスタートさせ、走行性能と快適性を高い次元で両立させた。

両立させた相手は、走行性能と快適性。ただしこの一文にも「Yetの思想」という語は出てきません。社史が両立の例を挙げていないのではなく、その語と結び付けていない、というのが正確なところです。

いっぽう「源流対策」のほうは、同じページが振動・騒音とはっきり結び付けています。

特に快適性に大きく影響する振動・騒音については、「源流対策」により、振動・騒音の発生を極力減らすことに成功した。

「成功した」はトヨタ自身の評価です。ただし、この一文に手段は書かれていません。制振鋼板とプロペラシャフトの製造法を挙げているのは1ページ目のほうで、そちらには「源流対策」の語がありません。この2つを結び付けて、源流対策の中身がこれだと読んだのは当サイトです。なお、3つの資料のどこにも遮音材の話は出てきません。音を後から抑える手段は挙がっていない、というところまでが確かめられる範囲です。

工法と工場のほうも、作り直されている

生産技術部門についての記述は、材料の選定ではなく製造方法そのものに向かっています。

生産技術部門では、車両品質向上のため板厚や防錆処理の異なる複数のボデー鋼板をレーザー溶接し、さらにプレス一体成形する工法を開発した。また、シリンダーブロックの鋳造法として、金型の減圧によりアルミニウムの低温状態での注湯充填効率を高め、強度の向上と鋳造時間の短縮が可能な工法も実用化した。

厚さも防錆処理も違う鋼板を先につないでから、まとめて成形する。エンジンの土台になるシリンダーブロックは、金型のほうを減圧してアルミを流し込む。ここで気をつけたいのは、社史がこの2つに与えている理由です。レーザー溶接とプレス一体成形は「車両品質向上のため」、減圧鋳造は「強度の向上と鋳造時間の短縮」。どちらも静粛性の話としては書かれていません。振動・騒音に結び付けられているのは、前の段落の制振鋼板とプロペラシャフトの製造法の2つです。

生産ラインの管理方式も変わっています。

生産を担当する田原工場では、分散処理型の「新アッセンブリー・ライン・コントロール(ALC)」をレクサスの立ち上げにあわせて導入した。これは従来の本社一括管理方式に対して、ボデーや組立などのラインごとにサーバーで管理するシステムである。生産指示をきめ細かくタイムリーに各ラインに伝えることが可能になり、各ラインで問題が発生した場合も即応できた。

本社が一括で管理していたものを、ラインごとのサーバーに分ける。ここで社史が書いているのは「レクサスの立ち上げにあわせて導入した」であって、1台のクルマのために、ではありません。なお、その立ち上げが何車種で始まったかは2ページ目に書かれています(後で見るとおりLS400とES250の2車種)。ただしES250もこの工場で作ったとは書かれていません。車両詳細情報の生産工場欄に田原工場とあるのは、セルシオについてです。

足かけ6年、試作車約450台、走行テスト350万km余り

1ページ目は、開発規模の数字で終わります。

開発期間は足かけ6年に及び、製作したクレイモデルは約50台、試作車は約450台、走行テストは350万km余りというプロセスを重ねLS400は完成したのだった。

クレイモデルは粘土で作る模型で、デザインを立体で確かめるためのものです。それが約50台。試作車は約450台。走行テストの350万kmは、1日100kmずつ走ったとして3万5,000日、年数にすると95年を超える距離になります。1台あたりに直せば約7,800kmです(どちらも当サイトの計算で、実際には多数の車両で並行して走らせた合計とみられます)。社史の表記は「350万km余り」なので、どちらも少なくともこれだけ、という下限の数字です。

途中経過も1か所だけ書かれています。

1987年5月には8回の提案を経たLS400の最終設計が承認され、V8型4,000ccエンジンのプロトタイプを搭載した試作車のテストも始まった。

最終設計にたどり着くまでに8回の提案があり、その承認が発売の2年余り前。そして試作車のテストが始まったのは、その最終設計の承認と同じタイミングとして書かれています。上の約450台や350万kmが、承認の前と後にどう配分されているのかは社史に書かれていません。

2ページ目は、売り場の話になる

ここから項の後半です。話題がクルマから販売店に移ります。

米国では米国トヨタ(TMS)による「業界最高の販売網構築」を目指したレクサス店づくりが進められた。当初200店を目標に販売店を募集したところ、約1,600店からの応募があり、このなかから1次分として81店が選ばれた。1987(昭和62)年8月には「お客様に十分満足いただけるよう誠心誠意コミットする」などを盛り込んだ「レクサス憲章」を制定し、販売店が群を抜くホスピタリティ(おもてなしの心)で対処するよう徹底していった。

約1,600店の応募に対して、1次分は81店。目標が200店だったので、募集の時点で応募が目標の8倍あったことになります(この倍率は当サイトの計算です)。そして憲章の制定が1987年8月。1ページ目で最終設計が承認された1987年5月の、3か月後です。クルマの設計が固まったころに、売り場の決まりごとを作っていたことになります。

価格の置き方も書かれています。

TMSでは、顧客ターゲットを「ヤッピー」と呼ばれ、主に自力で富を築いた新しいタイプの富裕層に絞った。この層の人たちは現実的で価値に敏感であるため、性能面でメルセデス・ベンツの同等クラス車よりも価格を1万ドル程度安く設定した。発売にあたって全米で展開した宣伝のキャッチコピーは「完全への飽くなき追求」であった。こうして、米国のレクサス店は1989(平成元)年9月からLS400とES250の販売を開始した。

ここが、この項でいちばん温度差のあるところだと思います。開発の側では「妥協を許さず矛盾する要素をも両立させる」と書いておきながら、売り方の側でやったことは同等クラスより1万ドル安く置くことでした。値付けの理由も精神論ではなく「この層の人たちは現実的で価値に敏感であるため」という読みです。同じ項の中に、値引きではないが値段で勝負している記述と、値段の話が一切出てこない開発の記述が並んでいます。

結果として何が起きたかも、続けて書かれています。

発売翌年の1990年にはJDパワー社による自動車初期品質調査(IQS:Initial Quality Study)のブランド別ランキングで1位となり、さらに、1991年にはIQSのほかお客様満足度調査(CSI)と販売活動満足度調査(SSI)でもトップとなり、業界初の3冠を獲得した。

初期品質だけでなく、お客様満足度と販売活動満足度が並んでいます。後ろの2つは、クルマの作り方だけでは動かない指標です。1ページ目の工法と、2ページ目の憲章とホスピタリティが、同じ表彰の中で合流している形になっています。ただし社史がブランド認知の理由として最初に置いているのはクルマの評価のほうで、この段落は「お客様のLS400に対する評価は高く、レクサスは短期間で高級車ブランドとして認知された。」という一文から始まっています。

続けて、商品ラインの拡充も書かれています。「ES250を切り替えたES300(同ウィンダム)」——このES300の日本名ウィンダムは、当サイトの初代ハリアーの回で土台をたどったクルマそのものです。

そして項は、苦戦の話で終わる

この項の最後の一文が、当サイトがいちばん意外に思ったところです。

日米では高い人気を得たものの、ヨーロッパでは商品不足や専売網ではなく既存販売店による「ショップ・イン・ショップ」でのスタートとなったことから、立ち上げ時には苦戦を強いられた。

3冠、商品ラインの拡充、そしてヨーロッパ投入と続いたあとに、これが置かれています。しかも挙げられている理由の片方は商品不足、もう片方は専売の店を用意できなかったこと。クルマの出来ではなく、売り場の形が理由として書かれています。項の全体が作り方と売り方の2方向で構成されていると読むと、この締めくくりは自然につながります。

日本では「セルシオ」として1989年10月に発売された

日本側は、社史の車両詳細情報にまとまっています。

トヨタは、メルセデス・ベンツやBMWなど、欧州メーカーの牙城であった高級ブランドマーケットに参入すべく、新たに「レクサスブランド」を設立。そのトップモデルとして開発した「LS400」の日本国内向け仕様車が「セルシオ」である。日本のオーナードライバー向け乗用車としては最上位に位置づけられた。北米では1989年1月のデトロイトショーで「レクサス LS400」を発表し、9月から発売。日本では「トヨタ セルシオ」として10月から発売した。

同じページに載っている主な内容をまとめます。

  • 仕様:仕様・装備の違いでA、B、C仕様の3つ
  • エンジン:型式1UZ-FE、V型8気筒DOHC32バルブ。解説文の表記は4000ccで、同じページの諸元表は3,968cc。260PS(ページの注記によりネット値
  • サスペンション:4輪ダブルウィッシュボーン式。A・B仕様はコイルスプリング、最上級のC仕様は電子制御式エアサスペンション
  • B仕様の装備:「ダンパーの減衰力が通常走行時の「ハード」の設定から瞬時に「ソフト」に切り替わる電子制御サスペンション「ピエゾTEMS」」
  • 寸法:代表グレードで全長4,995mm×全幅1,820mm×全高1,400〜1,425mm、ホイールベース2,815mm
  • 生産工場:田原工場/販売会社:トヨタ店、トヨペット店
  • 受賞:「1989~1990年 日本カー オブ ザ イヤー」

寸法はどれも代表グレードの値で、同じページの注記に「代表するグレードのスペックを表示しております。」とあります。全高だけがC仕様の1,400mmとA・B仕様の1,425mmで分かれています。車名の由来は、このページによれば「ラテン語で「至上、最高」という意味の「セルサス」をもとに作った言葉」です。

そして、売れた理由についても同じページが書いています。

高級車にふさわしい性能と仕様や装備に加え、細部まで入念な工作と仕上げを施したことから、たちまちアメリカ市場で大きなヒットとなった。

ここでいちばん先に挙がっているのは「性能と仕様や装備」です。工法や工場の話ではありません。作り方を新しくした記録が1ページ目にあり、売り場を作った記録が2ページ目にあり、そして完成したクルマの評価は装備と仕上げで説明されている。社史はこの3つを、どれかに絞ることなく並べて書いています。

まとめ

  • 社史の第5項は2ページ構成。1ページ目が開発、2ページ目が販売網で、当サイトの集計では本文約2,000字のうち販売網側が840字(約42%)
  • 開発側で挙がるのは、制振鋼板とプロペラシャフトの製造法(振動・騒音)、CD値0.29のための窓ガラスとドアハンドル、レーザー溶接+プレス一体成形(車両品質向上のため)、減圧鋳造(強度の向上と鋳造時間の短縮)、田原工場の分散処理型ALC
  • 販売側で挙がるのは、約1,600店から81店の選抜、1987年8月の「レクサス憲章」、「性能面でメルセデス・ベンツの同等クラス車よりも価格を1万ドル程度安く設定した」
  • 「Yetの思想」という語に紐づけた例示は、社史にはありません。ただし車両詳細情報のページには「走行性能と快適性を高い次元で両立させた」とあります。当サイトが両立の例として読んだのは、量感のあるデザインとCD値0.29の関係です。いっぽう「源流対策」は、同じ車両詳細情報のページが振動・騒音と結び付けていますが、その手段(制振鋼板など)を書いているのは1ページ目のほうです
  • 項の締めは3冠の話ではなく、ヨーロッパでの「立ち上げ時には苦戦を強いられた。」という一文

高級車を1台出すという仕事を、この会社はどう作るかどこで誰にどう売るかの両方として記録に残していました。この2つを1つの項の中で並べて読む整理は当サイトが行ったもので、社史が両者を対比して論じているわけではありません。

なお、ここで置かれた高級車の骨格が、のちに高級SUVという発想につながっていく——という読み方については、初代ハリアーの回で扱っています。こちらも社史が因果として書いたものではなく、複数ページを突き合わせた本サイトの整理です。

出典: トヨタ自動車「トヨタ自動車75年史」第3部 第2章 第3節「第5項 「Yetの思想」と「源流対策」」および「第5項 「レクサス憲章」」、同 車両系統図 車両詳細情報「セルシオ」(1989年10月発売・型式UCF10/UCF11)。いずれも2012年公開。1ページ目は2026年8月23日、2ページ目と車両詳細情報は同年8月24日に閲覧。本記事が参照したのはトヨタが自社について書いた記録であり、発売当時の発表資料ではありません。文字数の集計、1日100km換算・1台あたりの平均距離・応募倍率の計算、および開発の記述と販売の記述を並べて読む整理は、いずれも本サイトが行ったものです。

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