トヨタ スポーツ800は大衆車と同じ580kgだった — 2000GTと1600GT、速さの作り方が分かれた3台

1960年代の日本は、クルマがようやく個人のものになりはじめた時代です。そのころのトヨタは、大衆車と商用車を並べて売る会社でした。その会社が、2年のあいだに3台のスポーツカーを出しています。
トヨタ スポーツ800(1965年)、トヨタ 2000GT(1967年)、トヨタ 1600GT(1967年)。よく知られているのは2000GTですが、この3台を横に並べると、おもしろいことが見えてきます。3台とも、エンジンの出発点は量産車のエンジンでした(2000GTのものは、当時まだ開発中のエンジンです)。違ったのは、そこから何をしたかです。
2台はエンジンに足しました。もう1台は、重さを増やさずに作りました。そして重さを増やさなかった1台は、大衆車と同じ580kgのまま、時速155kmに届いています。
先に結論です
- 3台とも、エンジンは量産車のものから始まっている — 2000GTはクラウン用として開発が進んでいたM型エンジン、1600GTはコロナ1600S用の4R型エンジン、スポーツ800はパブリカの部品。ただし2000GTは、車体まわりに日本の量産車として初めての装備を並べています
- 2000GTと1600GTは、同じ手を使った — どちらも既存のエンジンをDOHC化しています。1600GTのDOHC化はヤマハ発動機が手がけたと記載があり、2000GTも1964年の着手時点からヤマハ発動機の協力を得ています
- スポーツ800は、出力を足すのではなく重さを増やさなかった — 75年史の言葉では「廉価で使いやすく、しかも徹底的に軽量化を図った」。出力は45馬力で、3台のなかでいちばん小さい値です
- その580kgは、大衆車パブリカと同じ数字 — 2台のページはどちらも重量の欄に580kgを載せています。排気量とボデーは変わりましたが、重さは動いていません
- 出力は3.3倍でも、最高速度は1.4倍にしかならない — スポーツ800の45馬力/155km/hに対し、2000GTは150馬力/220km/h。速さは出力に比例しません(この割り算は当サイトによる整理です)
- 2000GTは、自社の量産ラインでは作れなかった — 75年史は「少量生産であり、また入念な仕上げを要すること」を理由に挙げ、ヤマハ発動機に試作と生産を委託したと書いています。生産台数は337台です
- そして足した側と削った側は、同じレースの表彰台に並んだ — 1967年の富士24時間レースで、2000GTの2台に続いてスポーツ800が3位に入っています
エンジンの出発点は、どれも量産車だった
まず、3台がどこから始まったかを見ます。
2000GTについて、75年史はこう書いています。
エンジンは、クラウン用として開発が進められていたM型エンジンを改良し、DOHC方式を採用した3M型エンジンを使用した。
クラウンは、当時のトヨタの最上級車です。そのために用意されていたエンジンを改良して積んだ、という順序になります。
1600GTはもっとはっきりしています。車両詳細情報のページは、当時の市場をこう説明しています。1963年の第1回日本グランプリでモータースポーツ熱が高まると、いすゞ ベレット 1600GT(1964年4月)、プリンス スカイライン 2000GT(1964年5月)、日野コンテッサ 1300 クーペ(1964年12月)、ダットサン ブルーバード SSS(1965年5月)といった、既存のセダンから派生したスポーツモデルが相次いで発売された——。トヨタはこの市場に、既存のコロナ ハードトップをベースにした高性能モデルとして1600GTを投入します。
エンジンは、「コロナ 1600S」用のOHVツインキャブ“4R”型をベースに、ヤマハ発動機がDOHC(1気筒当たり2バルブ)化した“9R”型で、2000GT用の5速ギヤボックスを備えたGT-5と、4速仕様のGT‐4の2種のモデルを設定した。
そしてスポーツ800です。
主にパブリカの部品を共用し、ボデーの生産は関東自動車工業に委託した。
パブリカは1961年に出た大衆車で、そのページによれば1955年に通商産業省が発表した国民車構想にも触発されて生まれたクルマです。つまりスポーツ800は、国民車を目指したクルマの部品から始まっています。
足した2台 — どちらも既存エンジンをDOHC化した
2000GTと1600GTは、別々のクルマに見えて、エンジンの作り方は同じ発想です。既にある量産エンジンの頭(動弁機構)を作り替えて、回るようにする。2000GTのM型→3M型も、1600GTの4R型→9R型も、どちらもDOHC化です。
結果として2000GTが手に入れたものは、量産車の水準を越えていました。車両詳細情報のページは、こう書いています。
社内デザインによる、極めて低い車高のクーペボデーの下にはX形バックボーンフレームを備え、直列6気筒DOHC 2000ccエンジン、ダブルウィッシュボーン/コイルの4輪独立懸架、4輪ディスクブレーキ、4輪マグネシウム合金製ホイールなどは、日本の量産車としては初めて採用するものばかりだった。
1966年10月には、茨城県の谷田部の自動車高速試験場で速度記録に挑んでいます。
連続高速走行78時間、全走破距離1万6,000㎞を、平均時速206.1㎞で走り続け、3つの世界記録と13の国際記録を樹立した。
78時間、時速206kmの平均。しかも75年史によれば、これは台風28号による悪天候のなかでの記録です。
ただし、ここに代償があります。75年史は、2000GTがどこで作られたかを説明する場面で、その理由を並べています。
2000GTが少量生産であり、また入念な仕上げを要することから量産ラインでは生産できないため、当時二輪車レースで活躍していたヤマハ発動機と提携し、試作と生産を委託した。
ここで注意したいのは、ヤマハ発動機との関係が生産の段階から始まったわけではないことです。車両詳細情報によれば、トヨタは1964年、第2回日本グランプリ終了後からヤマハ発動機の協力を得て開発に着手しています。協力は最初からで、そのうえで75年史は生産の委託理由を上のように書いている——という順序になります。
そして車両詳細情報によれば、2000GTの生産台数は1970年の生産終了までに337台。「量産ラインでは生産できない」という一文が、そのまま数字になっています。
削った1台 — 大衆車と同じ580kg
スポーツ800の作り方は、正反対でした。75年史は特徴をこう並べています。
シンプルなメカニック、空気抵抗を極力減少させたスタイル、アルミ軽合金の使用による車両重量の軽減(車両重量580kg)、1L当たり31㎞も走行する好燃費など、優れた特色をもった
速さを作る要素として並んでいるのは、出力ではありません。シンプルであること、空気抵抗が小さいこと、軽いこと。そして最後に燃費が来ます。スポーツカーの紹介文で燃費が特色として挙がるのは、いまの感覚では少し不思議です。
車両詳細情報のページも、同じ順序で書いています。
「パブリカ」のものをベースにしたプラットフォームに、空気力学的にすぐれたボデーを載せて、非常に軽量に仕上げたことから、155km/hという最高速度を得たばかりか、燃費にも優れた。
最高速度の原因として挙げられているのは、エンジンではなくボデーと軽さです。
そして、この580kgという数字には続きがあります。土台にしたパブリカのページを開くと、こう書かれています。
その結果、580kgというクラストップレベルの空車重量を実現した。
同じ数字です。 大衆車として軽さを追い込んだパブリカと、そこから生まれたスポーツカーの重量欄が、どちらも580kgで並んでいます。なお本文の言い方は、パブリカ側が空車重量、75年史のスポーツ800側が車両重量で、同じ語ではありません(ここで並べているのは、両ページの諸元表の重量の欄どうしです)。排気量は697ccから790ccへ、全高は1380mmから1175mmへ変わりましたが、重さの欄だけは動いていません。
数字を並べる
3台と、土台になったパブリカを横に並べます。すべてトヨタ自動車75年史の車両詳細情報に載っている値です。
| 項目 | パブリカ(UP10) | スポーツ800(UP15) | 1600GT(RT55) | 2000GT(MF10) |
|---|---|---|---|---|
| 発売日 | 1961年6月30日 | 1965年4月1日 | 1967年8月22日 | 1967年5月16日 |
| 重量 | 580kg | 580kg | 1030kg | 1120kg |
| 全長×全幅×全高(mm) | 3520×1415×1380 | 3580×1465×1175 | 4125×1565×1375 | 4175×1600×1160 |
| ホイールベース | 2130mm | 2000mm | 2420mm | 2330mm |
| エンジン | 空冷2気筒水平対向式 | 空冷2気筒水平対向式ツイン・キャブ | 直列4気筒DOHC | 水冷直列6気筒DOHC |
| 排気量 | 697cc | 790cc | 1587cc | 1988cc |
| 最高出力 | 28PS/4300rpm | 45PS/5400rpm | 110PS/6200rpm | 150PS/6600rpm |
| 生産工場(同ページの欄) | 元町工場、高岡工場[1968年〜] | 関東自動車工業(株) | 元町工場 | トヨタ自動車とヤマハ発動機(株)の共同開発 |
各ページには「代表するグレードのスペックを表示しております。」および「エンジン最高出力はネット値です。」という注記が付いています。ここでの比較は、同じ資料の同じ欄どうしを並べたものです。別の資料に載っている出力値と混ぜて比べることはできません。
もうひとつ、表の最下段に注目してください。3台のうち自社の工場の名前が載っているのは1600GTだけです。1600GTはコロナ ハードトップをベースにしたクルマで、生産工場の欄にはパブリカと同じ元町工場が入っています。一方、専用のボデーを持つ2台は違います。スポーツ800はプラットフォームこそパブリカのものですが、そこに空力を優先したボデーを載せており、75年史はそのボデーの生産を関東自動車工業に委託したと書いています。2000GTのボデーも社内デザインの専用品で、こちらはヤマハ発動機との共同開発と記されています。ボデーを既存の量産車から借りた1台だけが、量産車と同じ工場で作られた——4ページの欄を並べると、そう読めます(この読み方は当サイトによる整理です)。
この表から、当サイトで割り算をしてみます。1馬力あたりが背負っている重さは、スポーツ800が約12.9kg、1600GTが約9.4kg、2000GTが約7.5kg。出力はスポーツ800から2000GTで3.3倍になりますが、最高速度は155km/hから220km/hで1.4倍にしかなりません(最高速度の値も同じ2ページの記載です。1600GTのページに最高速度の記載はありません)。
速さは、出力を積んだ分だけ素直に増えるものではない——これはなぜロードスターはパワーを追わないのか?マツダ「人馬一体」の設計思想と5グラムの軽量化やなぜスズキは軽さにこだわり続けるのか?610kgのアルトとHEARTECT、「小・少・軽・短・美」の物語で扱った、いまも生きている考え方です。60年前のトヨタの3台には、その考え方の両側が同時に並んでいました。
同じレースの表彰台に、両方が並んだ
足した側と削った側は、実際にぶつかっています。スポーツ800のページには、こうあります。
レースでも大活躍し、特に長距離レースで信頼性と好燃費を武器に真価を発揮して、1967年の富士24時間レースでは2台の「トヨタ 2000GT」に続いて3位に入賞した。
スポーツ800より前に入った2台は、150馬力の2000GTです。そのすぐ後ろが45馬力のスポーツ800でした。しかもここで挙げられている武器は、速さではなく信頼性と好燃費です。24時間走り続けるレースでは、給油と整備で止まる回数が順位を決めます。軽くて燃費がいいことは、そこで効きます。
2000GTについても、75年史は速さだけを目標にしたとは書いていません。
市街地や高速道路での一般走行時には快適な乗り心地を約束し、若干の部品交換によってそのままレースでも活躍できる実用的な高性能車を目指した。
1600GTも同じ方向です。75年史によれば「自動車レース出場も考慮して、レースを担当する第7技術部が市販車として開発した」クルマで、5段ミッションをオプションとするRT55-M型や、3種類の最終減速比を選べる4段ミッション車が用意されました。買った人が自分で仕様を選べるという作り方です。
その1600GTも、結果を残しています。車両詳細情報にはこうあります。
プロトタイプをレース用に仕立てた「RT-X」は、デビュー戦の富士スピードウェイ完成記念レース(1966年)と鈴鹿12時間耐久レース(1967年)で優勝し、市販後は、「1600GT‐5」が1968年の第5回日本GPで常勝の「スカイライン 2000GTB」に勝つことができ、その後、約3年間にわたって日本のツーリングカーレースで活躍した。
3台とも、レースの記録が資料に残っています。速さの作り方は分かれても、行き先は同じでした。
そして、エンジンは大衆車へ戻った
この話には後日談があります。パブリカのページの説明文の締めは、こうです。
1966年4月にはボデー前後を大きく改変し、エンジンを800ccに拡大することで36PSにパワーアップをはかった。さらに、1967年9月には、「スポーツ800」用の45PSエンジンを搭載したスーパーを追加。
順序が大事です。パブリカは1966年4月に自分で800cc・36PSまで上がっていて、その1年5か月後に、スポーツ800用の45PSエンジンが上のグレードとして載りました。部品を借りて作った速さが、上位グレードという形で元のクルマへ戻っていることになります。2000GTの3M型エンジンについて、同じような記述は参照した資料の中にはありません。
この記事が扱っていないこと
- 3台の価格 — 参照した車両詳細情報4ページのうち、価格が載っているのはパブリカだけです(38.9万円、パブリカ800の最も安価なモデルで35.9万円)。3台のスポーツカーの価格は記載がないため、比較していません
- 速さの作り方を2つに分ける整理 — 足した2台と削った1台、というまとめ方は当サイトによるものです。ここでの足す・削るは、エンジンをDOHC化して出力を上げたか、重さを増やさずに作ったかという意味で使っています。スポーツ800も土台のパブリカに対しては排気量と出力を上げており(697cc・28PSから790cc・45PSへ)、あらゆる面を削ったわけではありません。75年史も車両詳細情報も、3台をそのように分類してはいません
- 他社の同時期のスポーツカーとの性能比較 — 1600GTのページに他社4台の車名と発売月は挙がっていますが、それぞれの諸元は載っていないため、数字での比較はしていません
- 現在の中古車価格や入手性 — 3台とも生産終了から50年以上が経っています。この記事は当時の資料を読むもので、いま買うための情報ではありません
まとめ
- トヨタが1965〜1967年に出した3台のスポーツカーは、いずれも既存の量産車の部品から始まっている
- 2000GTと1600GTは、既存エンジンをDOHC化して出力を足した。1600GTのDOHC化はヤマハ発動機が手がけたと記載されている
- スポーツ800は逆に削った。75年史が特色として並べたのは、シンプルさ・空気抵抗・軽さ・燃費で、出力ではない
- その重量580kgは、土台になった大衆車パブリカの重量欄と同じ数字だった
- 出力3.3倍に対して最高速度は1.4倍(当サイトの計算)。積んだ分だけ速くなるわけではない
- 最高のものを目指した2000GTは自社の量産ラインで生産できず、337台で終わった。一方、重さを増やさずに作ったスポーツ800のエンジンは、1967年9月にパブリカの上位グレードへ載った
- 1967年の富士24時間レースでは、2000GT2台に続いてスポーツ800が3位。1600GTも1968年の第5回日本GPで結果を残している
速いクルマの作り方は1つではない、というのはよく言われることです。ただ、それを同じ会社が同じ2年のあいだに、同じ量産車の部品から始めるというやり方で、正反対の方向に2回やってみせた——そのことが資料に残っているのは、なかなか珍しいと思います。
出典: トヨタ自動車75年史 第2部 第1章 第3節 第2項 スポーツカーの開発、および同75年史 車両系統図の車両詳細情報「トヨタ 2000GT」(id60012817)/「トヨタ スポーツ800」(id60009017)/「トヨタ 1600GT」(id60007472)/「パブリカ」(id60011574)。いずれも2026年9月1日に閲覧。1馬力あたりの重量と出力・最高速度の倍率、および足した2台と削った1台という整理は当サイトによるものです。









