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名前はFF方式を意味していた — それでもスズキ フロンテは、2代目から4代目までRRだった

公開: 2026-09-02 / 更新: 2026-09-02

クルマを知るのイメージイラスト

スズキの軽乗用車に「フロンテ」という名前がありました。1962年の初代から1988年の7代目まで続き、1989年にアルトへ統合されて終わっています。

この名前には、スズキ自身が公式アーカイブで説明している由来があります。開拓者精神を意味するフロンティアスピリットの略であり、同時に駆動方式のFFを意味していたというのです。ところが同じ説明文は、そのすぐ後で「ただし2代目から4代目はRR方式を採用した」と付け加えています。名前が前輪駆動を意味しているのに、真ん中の世代はエンジンを後ろに積んだ後輪駆動だった、ということです。

それなら、駆動方式が変わったところでクルマの性格も切り替わったのか。スズキ公式の「SUZUKI DIGITAL LIBRARY」に載っているフロンテ全13機種の諸元と紹介文を並べて確かめると、答えは切り替わっていませんでしたでした。

先に結論

  • フロンテという名前はフロンティアスピリットの略であると同時にFF方式を意味していたと公式アーカイブは書いている。ただし2代目から4代目はRR方式だった
  • RRになった2代目は、直前のFF最終型から車両重量が535kgから420kgへ115kg軽くなり、ホイールベースは2,050mmから1,960mmへ90mm縮んだ
  • 全高がもっとも低いのはRR時代。派生車のフロンテクーペで1,200mm(諸元表のGERグレードは1,190mm)まで下がった
  • 速さの話もFF時代からあった。1963年のFEAは第1回日本グランプリのC-1クラスで1・2・4位、6代目の紹介文は1987年のフロンテツインカムで締めくくられている
  • ただし広さへ向かう動きは、RRのままもう始まっていた。3代目の紹介文には「ロングホイールべース」があり、4代目は「ホイールベースを20mm、室内の長さを30mm長くして」と書かれている
  • ホイールベースが最大なのはFFに戻ったあとの7代目(2,335mm)。ただしこの間に1976年の規格改定で車体そのものが約200mm長くなっているので、同じ枠のなかの比較は4代目系2,030mm→5代目2,150mm(+120mm)のほう
  • 駆動方式を選んだ理由そのものは、この資料に書かれていない。RRの採用は「なお、」で始まる一文で記録されているだけ
  • 終わり方は税だった。物品税がなくなって商用車のアルトと価格差が消え、乗用車のフロンテのほうが統合されて消えた

名前が駆動方式を意味していた

まず、車名の説明を原文で見ます。

フロンテは開拓者精神を意味する「フロンティアスピリット」の略であるとともに、FF方式を意味した。ただし2代目から4代目はRR方式を採用した。

1962年の初代スズライトフロンテTLAは、たしかにFFでした。同ページはこの車について「2サイクルエンジン、FF方式を採用してエンジン部をコンパクトにまとめるとともに、低く広いフロアとした。」と書いています。前にエンジンをまとめて、その分フロアを低く広く使う。FFの教科書どおりの説明です。

この世代が何を優先していたかも、同ページのフロンテ全体の説明に書いてあります。

軽自動車の規格内で大人4人がゆったりと乗車できることと、リヤトランクを備えることを重視して開発を進め、1962年に初代のスズライトフロンテTLAを発売した。

初代の項には「また、リヤには他の軽自動車に見られなかった奥行55㎝、高さ40㎝のトランクを設けている。」ともあります。全長2,995mm・全幅1,295mmという当時の枠のなかで、前にエンジンを寄せて後ろを荷室にした。広さと荷室が、最初から目標に入っていたということです。

速さの話も、FF時代からすでにあった

ここで、記事としては見落としやすいところを先に潰しておきます。速さはRRになってから始まった話ではありません。

1963年のスズライトフロンテFEAは、発売直後にレースへ出ています。

発売直後に鈴鹿サーキットの国際レーシング・コースで行われた「第1回日本グランプリ自動車レース」に出場し、C-1クラス(ツーリングカー400cc以下)で1位・2位・4位と上位を独占して当社の技術水準の高さを実証した。

1965年のFEAⅡも、オイルの供給方式を変えたことで「長時間の高速運転が可能となった。」と紹介されています。FF時代の3機種は、広さと荷室と速さを同時に語られている。あとで見るRR時代の紹介文が居住性を語るのと、方向は逆ですが同じことです。どちらの駆動方式のときも、資料は片方の性格だけを書いてはいません。

2代目でRRになり、115kg軽くなった

1967年、フロンテは2代目のフロンテ360(LC10)で駆動方式を裏返します。同ページは、この世代が生まれた背景をこう書いています。

やがて本格的なモータリゼーション時代を迎えて、より軽く、より速く、スポーティーな軽乗用車が求められるようになったため、軽自動車初の2サイクル3気筒エンジンを搭載するフロンテLC10を開発した。

LC10の項も、狙いを一行で書いています。「車体の軽量化を図り、高速性能・加速性能に重点を置いた。」

ここで注意しておきたいことがあります。駆動方式の変更は、この狙いの説明のなかにはありません。RRの話は、デザインの説明が終わったあとに「なお、」で始まる一文として出てきます。

なお、このモデルから駆動方式をRR方式とし、コラムシフトからフロアシフトに変更した。

つまり資料は、RRにしたこと自体は記録しているが、なぜRRにしたのかは説明していないということです。理由らしき記述はこのページのどこを探しても見つかりません。

結果のほうは、数字で残っています。直前のFF最終型であるFEAⅡ(1965年)とLC10を並べると、こうなります。

  • 車両重量 535kg → 420kg(115kg減)
  • ホイールベース 2,050mm → 1,960mm(90mm減)
  • 全高 1,380mm → 1,330mm(50mm減)
  • 全長・全幅は2,995×1,295mmのまま(当時の軽の枠いっぱい)

初代TLAの500kgと比べても80kg減ですが、FF時代は500kg→525kg→535kgと世代ごとに重くなっていたので、切り替わりの落差としては115kgのほうが実態に近い数字です。翌1968年のフロンテSS360は、0-400m加速が4人乗りで19.95秒。同社はこれを軽自動車で初めて20秒の壁を突破したとしています。

全高の底は1,200mm(GERは1,190mm)

RR時代のフロンテは、世代ごとに背を下げていきます。1970年の3代目フロンテ71は「「広く・低く・鋭く」という設計思想のもと、ファストバックとレーシングアップテールにより安定感のある美しさを実現した。」と紹介され、全高は1,295mmになりました。

そして翌1971年、3代目の派生車として出たのがフロンテクーペです。

ジウジアーロのデザインをベースにして、当社が流体力学を駆使した本格的GTスタイルを完成させた。軽乗用車中最も低い車高(1,200mm)と相まって、精悍でダイナミックなスタイルとなった。

ここは資料の読み方に一つ注意が要ります。本文は1,200mmと書いていますが、同じページの諸元表はGE・GER・GXの3グレードに対して1,200mm/1,190mm/1,200mmと並記しています。つまりGERだけ1,190mmです。当サイトはどちらかが誤りだとは判断せず、両方をそのまま示しておきます。

初代の1,380mmから数えると、いちばん低いところで180mm以上下がったことになります。フロンテの全高がもっとも低かったのは、名前が意味していたFFではなく、RRだった時代です。

ただし、広さへの動きはRRのままもう始まっていた

ここが、この記事でいちばん言いたいところです。RRは低さと軽さ、FFは広さ — そう整理したくなりますが、資料を読むと成り立ちません。

まず2代目LC10。記事は前の節で軽さと速さの記述を引きましたが、同じ紹介文には室内の話も入っています。

デザイン面では車内の居住性を高めながらも、スポーティーさや軽快さを感じるセミファストバックとしたことと、コークボトルラインと呼ばれる丸みを帯びた面構成を採用したことが特徴となっている。

3代目フロンテ71の紹介文も、低さだけではありません。

また、ロングホイールべース、四輪独立懸架、タイヤのサイズアップ、軽自動車で最も車高を低くした空気抵抗の少ないデザインなどにより、高速走行安定性を飛躍的に向上させた。

そして1973年の4代目は、RRのまま室内を広げたとはっきり書いています。

車内はホイールベースを20mm、室内の長さを30mm長くして、快適にくつろげる室内を実現した。また、フロントとリヤにトランクルームを設けた。

数字も同じ向きです。ホイールベースは1,960mm(1967年・RR)→ 2,010mm(1970年・RR)→ 2,030mm(1973年・RR)と、FFに戻る前から伸び続けています。全高も1,295mm(1970年)から1,300mm(1973年)へ、RRのうちに上向いています。

つまり折り返し地点は、駆動方式が変わった1979年ではなく、RR時代の途中にありました。駆動方式は物語の切れ目になっていない、というのがこの資料から言えることです。

枠そのものが広がった1976年

1976年、フロンテの寸法が急に大きくなります。ただしこれはクルマ側の判断ではありません。

1975年、安全対策・公害対策の充実を主目的に、軽自動車の規格改定が運輸省から告示された。それに伴い、排気量をアップし、車体寸法を拡大(全長を195mm、全幅を100mm、トレッドを前輪100mm、後輪105mm広げた)したのが2サイクルエンジンの「フロンテ7-S」。

全長2,995mmが3,190mmに、全幅1,295mmが1,395mmになったのはこのためです。この記事で全長と全幅を世代間で比べないのは、1976年に枠そのものが動いているからです。軽自動車の枠がどう動いてきたかは軽自動車の規格はなぜ全長3.4m・660ccなのか?1949年から動いてきた「枠」の物語にまとめています。

そして資料は、この改定の効果も居住性の言葉で書いています。「この改定によって居住性やドライビングポジション、走行安全性などを大幅に改善した。」この時点でもまだRRです。

一方で全高・ホイールベース・車両重量は、この改定の前後でも比べられます。軽自動車の規格が定めているのは長さ・幅・高さ・排気量で、そのうち高さの上限は1949年の制定から2.0mのまま動いていません(この点は上記の記事で扱っています)。ホイールベースと車両重量は、そもそも規格の対象ではありません。

5代目でFFに戻り、同じ年にアルトが出た

1979年、フロンテは5代目で初代と同じFFに戻ります。そしてこの項には、もう一台のクルマの名前が出てきます。

初代と同じFF方式を採用。スタイリングは同じ年発売のアルトとほぼ同じながら、アルトは2ドアの商用車、フロンテは4ドアの乗用車と差別化を図った。

同じ年に、ほとんど同じ形をした2台が、片方は商用車、片方は乗用車として売られはじめた、ということです。アルトが商用車の規格を選んだ事情についてはなぜスズキは軽さにこだわり続けるのか?610kgのアルトとHEARTECT、「小・少・軽・短・美」の物語で扱っています。

FFに戻ってからも、寸法は前の節と同じ向きに動き続けます。全高は1,300mm(7-S)→1,335mm(5代目)→1,400mm(6代目)、ホイールベースは2,030mm→2,150mm→2,175mm。1984年の6代目は「基本理念は「暮しに役立つクルマ」」と紹介され、FM・FGタイプに設定された回転ドライバーズシート(日本初とスズキは紹介しています)やフルフラットシートが並びます。

ただしここでも、性格は一つに寄っていません。同じ6代目の紹介文は、最後をこう締めています。

また、1987年には軽乗用車唯一のDOHCエンジンを搭載したフロンテツインカムも発売した。

ホイールベースが最大なのは、最後の世代

1988年の7代目が最後のフロンテになりました。

軽乗用車最大のホイールベース(2,335mm)とコンパクトなエンジンルームにより、ゆとりの居住空間を実現した。

「軽乗用車最大」はスズキ自身の紹介です。2,335mmは全13機種で最大で、RRになった直後の1,960mmとは375mm違います。ただしこの375mmには、1976年に車体そのものが約200mm長くなったぶんが含まれます。枠をまたがない比較でいえば、4代目系の2,030mmから5代目の2,150mmへ120mm、そこから7代目の2,335mmへさらに185mmです。

そして翌1989年、フロンテという名前は消えます。理由は走りでも設計でもありませんでした。

しかし、1989年の消費税導入に伴う物品税廃止によって軽貨物車のアルトと価格差がなくなったため、アルトに統合して歴史に幕を閉じた。

1979年に「アルトは2ドアの商用車、フロンテは4ドアの乗用車」と書き分けられた2台は、その書き分けを支えていた税がなくなった時点で、1台にまとめられた。乗用車のほうが残らなかったのが、この話のいちばん意外なところです。

フロンテ全13機種の寸法・重量

年機種駆動全長×全幅×全高(mm)WB(mm)重量(kg)
1962スズライトフロンテTLA(初代)FF2,995×1,295×1,3802,050500
1963スズライトフロンテFEAFF2,995×1,295×1,3802,050525
1965スズライトフロンテFEAⅡFF2,995×1,295×1,3802,050535
1967フロンテ360(LC10・2代目)RR2,995×1,295×1,3301,960420/425
1968フロンテSS360RR2,995×1,295×1,3301,960440
1970フロンテ71(3代目)RR2,995×1,295×1,2952,010460/465
1971フロンテクーペRR2,995×1,295×1,200/1,190/1,2002,010480
1973フロンテ(4代目)RR2,995×1,295×1,300/1,2802,030545/530
1976フロンテ7-S(450cc)RR(推定)3,190×1,395×1,3002,030545/530
1977フロンテ7-S(550cc)RR(推定)3,190×1,395×1,3002,030555/540
1979フロンテ(5代目)FF3,195×1,395×1,3352,150570/560
1984フロンテ(6代目)FF3,195×1,395×1,4002,175560/570/580
1988フロンテ(7代目)FF3,195×1,395×1,3852,335610

数値はすべてSUZUKI DIGITAL LIBRARYのフロンテのページの諸元欄から。同ページには「※代表するグレードの諸元値を表示しています。」という注記があり、複数の値が並ぶ行はページ上でグレード別に並記されているものです。駆動方式の列は、車種紹介文(初代=FF、2代目から4代目=RR、5代目=「初代と同じFF方式を採用」)に基づく当サイトの整理で、7-Sの2行は代の表記がないため4代目と5代目のあいだなのでRRとして当サイトが推定したものです。1976年に軽自動車の規格が改定されているため、全長と全幅はこの前後で比べられません。最高出力は、このフロンテのページの各機種欄に測定方法(グロス/ネット)の表記がないため載せていません。価格も「工場裸渡し価格」「東京価格」「全国標準現金価格」と基準が世代で異なるため扱っていません。

クーペの形は別の名前へ、その名前も次の代でFFになった

フロンテがFFに戻る2年前、スズキはもう一つの車名を立ち上げています。セルボです。同ライブラリーのセルボのページには、こう書かれています。

フロンテクーペのデザインをベースとした新規格ボディーに、昭和53年排出ガス規制に適合した2サイクル3気筒550ccエンジンを搭載。フロンテクーペのRR方式を踏襲するが、主に女性やヤングファミリーユーザーを意識し、低い車高、大きく傾斜したフロントウインドーなどを採用。

初代セルボの全高は1,210mm。フロンテクーペそのもの(1,200mm/GERは1,190mm)よりは10〜20mm高いものの、背を高くしていくフロンテ本体からは離れた位置にいます。

ただし、その血筋も長くは続きません。1982年の2代目セルボは、RRをやめてFFになっています。

「女性が着る感覚で乗るクルマ」をコンセプトに開発した。スポーティーかつファッショナブルなフォルムに、静かで滑らかな4サイクル3気筒550ccエンジンを搭載。駆動方式はFFとし、広い室内を実現した。

2代目セルボの全高は1,290mm。同じころのFFフロンテ(5代目1,335mm・6代目1,400mm)より低く、しかも同じ一文で広い室内を主張しています。低さとFFは、両立しないものではなかった。ここでもまた、駆動方式は性格の境界になっていません。

この記事が扱っていないこと

  • 駆動方式を選んだ理由 — 資料に書かれていないため、記事でも推測していません。書かれているのは「なお、このモデルから駆動方式をRR方式とし」という事実の記録だけです
  • 最高出力の世代間比較 — フロンテのページの各機種欄に測定方法の表記がないため比べられません(21PS/25PS/36PS/40PSといった数字は載っていますが、同じ物差しかどうかが確認できません)
  • 価格の比較 — 「工場裸渡し価格」「東京価格」「全国標準現金価格」と基準が違い、消費税導入もまたぎます
  • フロンテ800とフロンテバンシリーズ — 同ライブラリーの機種間リンクにありますが、軽乗用車のフロンテとは別系列なので触れていません
  • 他社の軽との比較 — この資料はスズキ自身のアーカイブで、他社について書いていません

まとめ

この記事で見たのは、駆動方式でクルマの性格を説明したくなるが、資料はそう書いていないという話でした。

  • フロンテという名前は、公式アーカイブによればフロンティアスピリットの略であるとともにFF方式を意味していた。ただし2代目から4代目はRRだった
  • RRになった2代目で重量は535→420kg、ホイールベースは2,050→1,960mm。「より軽く、より速く」という記述と数字の向きが一致している
  • 全高がいちばん低いのはRR時代のフロンテクーペ(本文1,200mm/諸元表のGERは1,190mm)
  • それでも広さへの動きはRRのうちに始まっていた — 3代目の「ロングホイールべース」、4代目の「ホイールベースを20mm、室内の長さを30mm長くして」。WBは1,960→2,010→2,030mmとRRのまま伸びている
  • 速さの話もFF時代からあった — 1963年のFEAは第1回日本グランプリのC-1クラスで1・2・4位、6代目の紹介文は1987年のフロンテツインカムで締めくくられている
  • 1976年の全長・全幅の拡大は軽自動車の規格改定によるもので、クルマ側の判断ではない。最大値の2,335mmと最小値1,960mmの差375mmには、この約200mmが含まれる
  • 駆動方式を選んだ理由そのものは、この資料に書かれていない。資料が記録しているのは「なお、このモデルから駆動方式をRR方式とし」という事実だけ
  • 1979年に同じ形の2台が、商用車のアルトと乗用車のフロンテに書き分けられた。そして1989年、その書き分けを支えていた物品税がなくなり、残ったのはアルトのほうだった

クルマの寸法は、駆動方式のような分かりやすい区切りでは動いていませんでした。枠が動けば寸法が動き、税が動けば車種そのものが動く。フロンテの26年ぶんの諸元表は、それをかなり露骨に見せてくれます。

同じスズキが軽さをどう積み上げてきたかはなぜスズキは軽さにこだわり続けるのか?610kgのアルトとHEARTECT、「小・少・軽・短・美」の物語で、軽の枠そのものの歴史は軽自動車の規格はなぜ全長3.4m・660ccなのか?1949年から動いてきた「枠」の物語で扱っています。

出典: スズキ株式会社「SUZUKI DIGITAL LIBRARY|四輪車」のフロンテのページおよびセルボのページ(いずれも2026年9月2日に閲覧)。日本語の引用はすべて同ページの原文どおりです。「軽自動車初の2サイクル3気筒」「軽自動車で初めて20秒の壁を突破」「軽乗用車中最も低い車高」「軽乗用車最大のホイールベース」「日本初の楽に乗り降りできる回転ドライバーズシート」「軽乗用車唯一のDOHCエンジン」はいずれも同社による紹介です。世代間の差分(115kg減・90mm減・375mm差・120mm など)は、同ページの諸元値から当サイトが計算したものです。

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